藍の葉を刻んで乾燥させる「藍こなし」の作業に取り組む職人たち=1922年ごろ、旧藍園村

 藍住町が、町名の由来にもなっている藍の産地復活に本腰を入れる。タデアイの栽培や「すくも」作り、藍染ができる人材を育成。将来的には事業者として独立してもらい、藍の魅力発信につなげる考えだ。担い手候補として、地域おこし協力隊3人を募集している。

「藍こなし」の作業に取り組む職人。藍住町は町内にこうした光景を復活させる計画だ=2017年6月9日、上板町下六條の佐藤阿波藍製造所

 協力隊員は、上板町下六條の藍師佐藤好昭さん(54)に師事し、すくも作りの工程を学ぶ。さらに、藍住町歴史館・藍の館(同町徳命)の職員らの指導で藍染技術も習得する。一定の知識や技術を得た後は、町が藍の館近くに借りた畑でタデアイの栽培から、すくも作りまでを行う計画だ。

 町史などによると、県内で葉藍の生産が盛んだった明治後期から大正時代にかけて、旧藍園村(現在の奥野、徳命、東中富、富吉の4地区)は県内有数の産地だった。1915年の収穫量は463トンに上ったとの記録がある。

 だが、安価な染料が流通した影響で生産量は減少。57年ごろに、すくもは生産されなくなり、現在、町内に藍師はいない。すくもの原料となるタデアイの栽培は2011年以降行われていない。

 町は葉藍の栽培を復活させようと、16年から17年にかけて、町内のニンジン農家に協力を呼び掛けた。しかし夏場に草刈りをしたり、新たに収穫機械を導入したりする必要があり、手を挙げる農家はなかった。

 このため町は、担い手を確保する策として協力隊を活用することにした。募集するのは6月1日時点で20~40歳の男女3人。3大都市圏(埼玉、東京、神奈川、岐阜、愛知、三重、京都、大阪、兵庫、奈良の10都府県)か政令指定都市に住民票があり、町へ移住できることが条件。5月末まで町企画政策課で受け付ける。

 町は18年度一般会計当初予算に「藍染普及推進事業」として、隊員の賃金など約887万円を計上している。