たそがれ時の鳴門市民会館。中で明かりをつけると建物がぼんぼりのよう=鳴門市撫養町南浜

 モダニズム建築(近代建築)の名作といわれる鳴門市民会館が、南隣の市役所本庁舎の建て替えに伴って12月から解体される。徳島県鳴門市に19の公共建築をつくった建築家増田友也(1914~81年)がこの地で最初に手掛けた作品で、61年に完成した。ローラースケート大会や成人式など、市民活動のさまざまな舞台となってきたこの建物。9月末に閉館し、21日から11月3日まで会館で開かれるアーカイブ展(市主催)が、建物内に入れる最後の機会となる。

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「半隔離」に宿る機能美 21日~来月3日 最後の内部公開

 日が落ちたたそがれ時、市民会館の前を通る。既に閉館した今となっては暗いばかり。しかし閉館前、中で催しやイベントがあった際には、半透明のガラス窓から薄ぼんやりとした明かりがこぼれていた。

 「まるで障子越しに感じる光のよう。モダニズム建築は無国籍なイメージがありますが、増田先生は日本建築の要素も取り入れようとしていました」。2015年から鳴門の増田建築群の見学会を開いている建築士福田頼人さん(48)=鳴門市=は言う。

 日本建築の特徴の一つは内外の区切りの曖昧さにある。増田はそれを「半隔離」と呼び、モダニズム建築の代表的素材であるガラスを使って表現しようとした。

 四角い外観の市民会館は西、南、北の三方が半透明のガラス張り。昼間はそこから外の光を取り入れる。夜になると明かりが外にもれる。オーバーブリッジ(空中廊下)でつながれている市役所本庁舎(63年完成)も同じく、整然と並んだガラス窓が「半隔離」の効果を生み出す。

 完成当時、市民会館や市役所の周りには塩田が広がっていた。そこに立ち現れた藍色の端正な建築は、見る人に新たな時代の到来を感じさせたに違いない。

 塩田跡地に建ったことも建物を特徴付ける要素になったはずだと福田さんは言う。市民会館、市役所本庁舎は共に、柱の間隔や窓、廊下の幅などが全て3メートルを1単位として設計されている。「(古都の)条里制を感じる設計。塩田の条里的な区切りから、その発想を得たのではないでしょうか」。増田は風景や歴史が交錯する地点としての建築を目指し、その在り方を生涯探求している。

市民会館の内部。アリーナと客席がつながっている。波打つような天井も印象的だ

 市民会館は当時、財政難だった鳴門市から「経済的な設計に」との要望を受けてつくられ、最小限の鉄骨部材で大きな空間を生み出している構造とそこに宿る機能美が特徴だ。座席からアリーナへと直接つながるつくりや木製の椅子なども見どころとなっている。

 近くには、増田の遺作となった鳴門市文化会館(82年完成)も立つ。コンクリートのボリュームを生かした悠然としたたたずまいで、軽快さを感じさせる初期作品の市民会館や市役所本庁舎とはかなり異なる印象。ただ、壁に規則的に入るガラスのついたてに「半隔離」の表現が見える。約20年を隔てた作品間に見られる共通項だ。

 オーバーブリッジの上に立ち、福田さんは言う。「ここから変わっていく鳴門の風景を眺めてほしい。そんな思いも込めてこれをつくったんじゃないでしょうか」。オーバーブリッジの下では日曜市が開かれ、マラソン大会のゴール地点にもなってきた。ブリッジの上からは風景の変遷だけでなく、人々の営みが見渡せた。

 鳴門の原風景である塩田は姿を消した。59年間にわたり、市民活動の舞台となった市民会館も、もうすぐなくなろうとしている。

 「半隔離」が生む夜の表情を見られるよう、アーカイブ展は午後7時まで開かれる。

【編集後記】

 「徳島と香川では文化政策に雲泥の差がありますね」。ある文化関係者が自嘲気味に語る。同じ趣旨の発言はよく耳にする。建築ひとつとっても、香川県は丹下健三設計の県庁舎東館を耐震改修し、保存する道を選んだ。数あるモダニズム建築は観光資源になっている。丸亀市猪熊弦一郎現代美術館やイサム・ノグチ庭園美術館など美術館も充実し、「アート県」を名乗る。

 「差」の始まりは、戦後にある。キーパーソンは1950年から74年に香川県知事を6期務めた金子正則(07~96年)。「デザイン知事」と呼ばれ、長年の友人だった画家・猪熊弦一郎を介して数多くの芸術家や建築家と親交を結び、香川県に文化発展の種をまいた。昨年、高松市で開かれた建築展に行くと、中学生が丹下作品について解説してくれた。まかれた種は半世紀以上を経てなお、新たな芽吹きを生んでいる。

 徳島では停滞していた徳島市のホール建設計画を、「県立」として前進させる様相。「ホールは必要なのでしょうが、取りあえずできればいいという姿勢に見える。一方で、貴重な建築は解体されるに任せる。それで『徳島県は文化を大事にしている』と言えるんでしょうか」。ある県外出身の人にそう言われて考え込んでしまった。

 文化は為政者から与えられるのではなく、市民が生み出していくものだとは思うが、過去を振り返ると行政の文化政策の影響が大きいのは明らか。非常設型のプロオーケストラの設置などではなく、香川県のように「種をまく」政策を、徳島県、市町村にも求めたい。

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 アーカイブ展「じゃあ、ね。」は、21日から11月3日までの午前11時から午後7時(最終日は入場午後5時まで)、市民会館で。会館の歴史を物語る写真約40点や図面などを展示するほか、会館で長年、卓球をしてきた人ら関わりの深い市民のインタビュー映像を披露する。入場無料。

 問い合わせは、事業を受託している神山アーカイブレコード<電090(9378)0142>。

増田友也

 増田友也(ますだ・ともや)1914年、兵庫県三原郡八木村(現・南あわじ市)生まれ。39年に京都帝大建築学科を卒業し、満州炭鉱工業会社に就職して戦中期を大陸で過ごす。50年から78年まで、京大建築学科で講師、助教授、教授を歴任。78年に京大名誉教授。ハイデッガーや道元の思想に依拠した建築論を展開し、「建築とは何か」について思索を深めた。81年、食道がんで死去。享年66。59年から鳴門市長を7期28年務めた谷光次(1907~2002年)の知遇を得て、同市内に19の公共建築をつくった。うち、解体される市民会館と市役所本庁舎を含む5作品が、近代建築の記録・保存に取り組む国際学術組織DOCOMOMO(ドコモモ)日本支部から、文化的価値が高いと認められる「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選ばれている。