「娘に板東の史実を伝えたい」と話すクラウスニッツァーさん=ドイツ・グレービン

奇跡の史実語り継ぐ

  きっかけはインターネットだった。ドイツ北部のグレービンで電気技師として働くシュテフェン・クラウスニッツァーさん(37)は2008年、曽祖父についての研究サイトを偶然見つけた。

 曽祖父は第1次大戦中、鳴門市の板東俘虜収容所にいたドイツ兵捕虜、フランツさん(1892〜1955年)。当時、富田製薬の畜産部として収容所近くに建てられたドイツ牧舎(現在は船本家牧舎)の運営に参画し、酪農を指導するなど、約千人いた捕虜の中でも特筆すべき足跡を残した。

 「曽祖父が日本で捕虜だったことは家族から聞いていたが、詳細については知らなかった。自分のルーツを探そうと見つけたサイトの内容に本当に驚いた」

 曽祖父が働いていたドイツ牧舎では、酪農や牧畜、食肉加工の技術指導を通して、ドイツ兵と地域住民との温かな交流があった。さらに、彼が収容所に本格的な健康保険組合の導入をもたらした1人だったことも知った。

 クラウスニッツァーさんは、曽祖父について調査している岡山の研究者とやりとりするようになり、2009年10月に鳴門市に案内してもらった。

 ドイツ館を訪れた際、国の登録有形文化財となっていた近くのドイツ牧舎にも足を運んだ。牧舎には、所有者の船本純良さん(11年に83歳で死去)が体調不良を押して駆け付けてくれた。

 船本さんの父宇太郎さんは曽祖父から酪農などを学び、共にこの牧舎で働いていた。本来は収容所の規則に反することだが、牧舎で寝泊まりすることもあったという。

 「何とも言えず胸が熱くなった。戦時下の収容所でこんな史実があったことに、心から感動した」

 曽祖父は大戦終結後の1919年、ドイツ牧舎の日本側の関係者から感謝の銀杯を贈られた。帰国後も畜産関係の仕事を続け、祖父に技術を伝承した。クラウスニッツァーさんは祖父から牧畜を学んだことがあり、「実は板東からつながるものだったなんて」と感慨深げに語る。

 グレービンは森と湖に囲まれた静かな場所で、クラウスニッツァーさんが妻と長女と暮らす自宅の周辺には数軒の民家しかない。日曜大工で作ったログハウスやブランコがある裏庭では、5歳になる長女のアン・ゾフィーちゃんが遊んでいた。

 彼は来年3月、鳴門市民らがリューネブルクで開く「第九里帰り公演」に参加することを心待ちにしている。板東での第九アジア初演は曽祖父の足跡をたどることを通じて知ったが、第九のコンサートは初めて。人類愛と平和への願いが込められた「歓喜の歌」の響きに、自分が何を感じるのかが楽しみだという。

 クラウスニッツァーさんは熱いまなざしで語る。「ひ孫の世代になれば、100年前の歴史が伝わりにくくなっているのは確か。でも、争いのなくならない世界で、板東の史実を語り継いでいくことに価値はある」

 そして、駆け寄ってきた愛娘を抱き上げて約束してくれた。「この子がもう少し大きくなれば、必ず板東について話そうと思う」

 板東の奇跡はひ孫から、さらに次の世代へと受け継がれていく。

=第2章おわり