ドイツ兵捕虜の製パン技術をルーツとする「ドイツ軒」現店主の岡さん=鳴門市撫養町

◇製パン◇技法学んだ二つの絆

 毎年6月、鳴門市文化会館で開かれるベートーベン「第九」演奏会で、全国各地の出演者が楽しみにしている品がある。本番前日のリハーサルで販売されるあんパンやブドウパンなどの菓子パン。会場では「これを食べると、鳴門に来た気がする」という声も聞かれる。

 パンを製造しているのは、地元の撫養町にある「ドイツ軒」。第1次大戦中、鳴門市にあった板東俘虜収容所のドイツ兵捕虜と深い関わりのある店だ。

 現店主の岡則充さん(51)によると、収容所でハインリッヒ・ガーベル一等海兵に製パンを学んだ藤田只之助さんが1919年、徳島市でドイツ軒を創業。藤田さんの弟子の一人で、岡さんの祖父高善さんが37年に開業した「撫養支店」が、現在の店につながる。

 ドイツパンといえば、ライ麦中心の固くて酸味のあるパンが代表的だが、ドイツ軒は創業以来、もっぱら菓子パンを販売してきた。「昔はドイツパンを作る材料に乏しく、日本人の口にも合わなかったのでしょう」と岡さん。しかし、この菓子パンもガーベル直伝だったとみられる。

 藤田さんは収容所内の菓子店「ゲーバ」で半年、製パン所で2カ月間修業。ガーベルにはゲーバで教えを受けた。板東収容所で発行された「日刊電報通信」(ドイツ日本研究所所蔵)によると、ゲーバではライ麦パンだけではなく、ジャム入り揚げパンや渦巻きパンなどの菓子パンも売られていた。

 板東についての書籍「『第九』の里 ドイツ村」(林啓介著)の中でも、高善さんの述懐として「大親方のガーベルさんは、当時から色々のパンを工夫していて(中略)、アンパン、ジャムパンも教えてくれたそうです」と書かれている。

 ただ、客からは「なぜドイツ軒という店名なのにドイツパンを置いていないのか」という指摘もあった。そこで岡さんと父弘次さんは90年代半ばから独学でドイツパンを売り出し、「本場の技法を学びたい」という思いも抱き始めた。

 99年、弘次さんは鳴門市の親善使節団員として訪独。パン職人で製粉会社副社長のヘルムート・フォルマーさんを紹介され、息子がドイツで修業する約束を取り付けた。ところが翌2000年春、弘次さんは志半ばで急逝し、修業話は頓挫した。

 しかし、そこでドイツとの縁は終わらなかった。事情を知ったフォルマーさんは同年10月、本場の天然酵母を持って鳴門にやって来た。そして約2週間、住み込みで岡さんを徹底的に指導した。

 「4年後、ドイツを訪れた妹にドイツパンを託し、フォルマーさんに食べてもらった。返ってきたのは『日本人が作ったとは思えないほどおいしい』という言葉でした」。岡さんにとって、忘れられない思い出だ。

 現在、店では日本人向けに改良を重ねた7種類のドイツパンを販売する。板東収容所の歴史を知って観光に訪れる人らに次第に浸透し、今では県外からの配送注文も受け付けている。

 「創業からの伝統を受け継ぐ菓子パン、新たな定番のドイツパン。これからも、この両方のパンを大事にしていきたい」

 岡さんは、パンによってドイツとの間に結ばれた、二つの絆を宝としている。