「板東の演劇を徳島で再現してほしい」と話す市田さん=東京都文京区の東洋大
板東俘虜収容所で演劇を上演するドイツ兵捕虜(鳴門市ドイツ館提供)

◇演 劇◇捕虜の気持ち一つに

 もしかしたら音楽以上に人気があったかもしれない。第1次大戦中、鳴門市にあった板東俘虜収容所でドイツ兵捕虜が取り組んだ演劇活動のことだ。

 収容所新聞「ディ・バラッケ」などによると、1917年6月のズーダーマン作「名誉」を皮切りに、約2年間でドイツの古典や喜劇、人形劇を含め、少なくとも23作品の公演(上演回数は50回以上)を行った。中には「シャーロック・ホームズ」というタイトルも見られる。

 団員は手作りで衣装や舞台装置を用意。女装の女性役は目立つため、希望者が多かったという。劇場に観客が入りきらない人気作品は、最大5回も繰り返されている。

 「長引く収容所暮らしの中、演劇は捕虜たちを元気付けた。一方、収容所全体の融和を図る役割も果たしたようです」

 演劇活動をはじめ、板東についての複数の論文を発表している東洋大国際地域学部教授の市田せつ子さん(59)はそう指摘する。

 代表例に挙げるのが、17年11月に上演されたレッシング作「ミンナ・フォン・バルンヘルム」。ドイツ文学が専門の市田さんによると、この作品は歴史的に対立と戦争を繰り返してきたプロイセンとザクセンというドイツの二つの地域の葛藤を背景に描かれている。しかし、物語は喜劇仕立てで、プロイセンの退役軍人とザクセンの貴族令嬢との恋愛は大団円で終わる。

 板東の捕虜約千人を出身地域別にみると、プロイセンが最大の600人、ザクセンが71人で続く。

 市田さんは「『ミンナ』の上演は、二つの地域の捕虜の気持ちを一つにしたはず。閉じられた収容所生活の中で、それは大きな意味があった」と言う。

 エドアルド・ライポルト一等砲兵が残した手記「第六中隊の演劇」でも、「ミンナ」に対する強い思い入れが記されている。

 板東では18年6月1日、人類愛と平和をうたったベートーベンの「第九交響曲」をアジア初演し、捕虜たちは連帯を強めた。演劇も同様の役割を担ったのだろう。

 ライポルトの手記では、19年2月に4回上演されたゲーテ作「エグモント」の意義も強調している。オランダの独立と自由のために戦った実在のエグモント伯爵の物語に、捕虜たちは自らの姿を重ね合わせた。

 エグモントで流れる音楽は、ベートーベンが作曲した。この曲について「ディ・バラッケ」に詳細な解説を執筆したのは、第九初演を指揮したヘルマン・ハンゼン一等軍楽兵曹とされる。

 「エグモント序曲」はクラシック音楽ファンに愛される名曲の一つ。第九初演にちなんで82年から始まった鳴門市の「第九」演奏会でも、第九以外のプログラムとして84年に初めて登場。以降、度々演奏されていることは、不思議な縁を感じさせる。

 ただ、板東で上演された演劇の再現に取り組んだケースはこれまで見当たらない。

 「あの時代に高いレベルの演劇が上演された史実自体が意義深い。音楽と同じように、徳島で光を当てる動きが出てきてほしい」。市田さんの提言は、板東顕彰の新たな可能性を示している。