板東収容所のソーセージ再現の思い出を語る松本さん=大阪府岸和田市

捕虜による展覧会の品目を再現したソーセージ=2005年10月、鳴門市ドイツ館

◇ソーセージ◇板東の味再現に情熱

 1970年に日本ハム・ソーセージ工業協同組合(東京)が発行した「食肉加工百年史」の中に、驚かされる統計がある。大正時代の18、19年ごろにソーセージを全国で最も多く生産した人は、徳島県新魚町の「浜口伊平」と書かれている。生産量は約1万5500キロで、神戸や長崎など2番目以下の生産者を大きく引き離す。

 鳴門市ドイツ館元館長の田村一郎さん(82)=北海道小樽市=によると、新魚町とは徳島市に当時あった住所で、現在の両国橋、富田町周辺。浜口伊平というのは、富田町で割烹「濱伊」を経営する11代目店主濱口雅照さん(63)の祖父だった。

 「大正時代のソーセージと言えば、ドイツ兵捕虜を思い浮かべる。調べてみると、やはり深い関わりがありました」と田村さん。

 捕虜たちは第1次大戦中、まず県庁付近にあった徳島俘虜収容所で暮らし、その後は板東収容所に移った。両収容所の出入り業者として炊事を担当していたのが「濱伊」だった。

 雅照さんも、祖父本人から「ドイツ兵からソーセージ作りを学んだ」と聞いていた。

 「ただ、うちの店は代々日本料理で、ソーセージの生産は短期間だったようです。残念ながら、徳島大空襲で当時の資料も残っていません」と話す。

 とはいえ、徳島が一時期、ドイツ兵直伝のソーセージ王国だったことは間違いない。こうした史実が残る中、収容所のソーセージ再現に情熱を傾けた人がいる。10年前まで食肉加工会社「ウインナークラブ」(石井町)で働いていた松本聖一さん(70)=大阪府岸和田市、豚肉料理店経営=だ。

 松本さんは職業柄、収容所のソーセージに関心を持ち、長年製法の調査に取り組んだ。

 「ところが、なかなか思うように進まない。製法の資料が残っていなかったんです」

 18年3月、四国霊場1番札所・霊山寺周辺で開かれた捕虜による展覧会の出品品目には「詰め物をした子豚、飾りがしてある」などと記されている。しかし挿絵はなく、製法も不明のままだった。

 転機となったのは2005年4月、習志野収容所(千葉県)にいたドイツ兵からソーセージ作りを学んだ日本人の製法資料が発見されたことだ。さらに、当時の基本の製法テキストを入手。大阪の食肉加工マイスターの協力もあり、必要な情報がそろった。

 そして同年10月、鳴門市ドイツ館で催された「全国収容所フォーラム」で各種ソーセージを再現して発表。現在はドイツでもほとんど見られない豚の頭を使った装飾ソーセージもお披露目した。

 「厳密に言うと板東の完全な再現ではないが、限りなく近いはず。あの頃は本当に面白かった」。松本さんは、再現事業に奔走していた日々を思い出して胸を熱くする。

 その後、東京での県物産展などで再現ソーセージを出品。新たな観光資源と期待されたが、松本さんが退職して古里の大阪に戻って以降、活用されないままとなっている。

 しかし、新たな動きもある。来年は板東で「第九」がアジア初演されてから100年。鳴門市は記念イベントの中でソーセージの活用を模索中だ。

 再現ソーセージが、もう一度日の目を見る時が来るのか。松本さんは今、その日を楽しみにしている。