「東京五輪は世界に板東を発信する好機」と話す山田さん=鳴門市の板東俘虜収容所跡
板東のドイツ兵の器械体操を見学する撫養中の生徒ら(鳴門市ドイツ館提供)

◇スポーツ◇体操指導住民と交流

 鳴門市大麻町にある板東俘虜収容所跡の入り口には、100年前と同じ形を模した正門が立つ。板東のドイツ兵捕虜たちはこの周辺の土地を利用し、サッカー、テニス、ホッケーなど実にさまざまなスポーツ活動を繰り広げた。

 「ちょうどこの辺りでしょうかね。当時、捕虜たちはここで器械体操をしていたと思います」。鳴門市出身で、板東のスポーツについて長年研究を重ねている鹿屋体育大教授の山田理恵さん(57)は、収容所跡の広場を歩きながら説明する。

 山田さんによると、1918年6月1日、捕虜たちは収容所を訪れた地元教員ら50人を前に、この場所で器械体操などを披露した。プログラムには鉄棒やあん馬のほか、重量挙げも含まれていた。記録に残されている捕虜と住民の初めてのスポーツ交流で、後に捕虜たちが近隣の学校に出向いて体操指導を行うきっかけにもなったという。

 くしくもこの日の夜、収容所ではベートーベンの「第九」がアジア初演された。山田さんは「6月1日は、徳島のスポーツと音楽の両方で歴史的な意義のある日といえるでしょう」と語る。

 第1次大戦時の他の収容所でもスポーツは行われたが、地域住民にスポーツ文化を広めた事例はほとんど確認されていない。山田さんはこれまでの聞き取り調査で、捕虜のテニスラケットを父親に買い取ってもらった少年が、後に軟式テニスに打ち込むようになったエピソードなどを集めた。

 「当時の日本は欧米のスポーツがやっと普及し始めたころ。捕虜の活動によって、地域住民にスポーツを愛好する気持ちが芽生えたのは素晴らしいことだと思う」

 ドイツ兵は自国で長い伝統を誇る体操を重視した。偶然にも鳴門市は県内でも歴史的に体操が盛んな地域。さらに、捕虜が実技指導した撫養中学校からは、現在の鳴門高校になって以降、山田隆弘さん(ソウル五輪男子団体銅)、畠田好章さん(バルセロナ五輪男子団体銅)という2人のメダリストが出ている。

 山田さんは興味を持ち、この関連について調べたことがある。「結局、何かのつながりがあるかは分からなかった。でも、精神的な土壌として体操文化が鳴門に受け継がれているとしたら、面白いですよね」

 こうした板東収容所とスポーツの歴史について、山田さんは研究発表を繰り返してきた。1月21日にも、大学院博士課程を過ごした筑波大で壇上に立った。

 現在、最も強調しているのは、板東収容所にはスポーツ、文化、教育という三つの活動がそろっていた点だ。その狙いは2020年に開催される東京五輪にある。近代五輪の創始者クーベルタンが提唱した理念も「スポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するもの」となっている。

 「まさに板東収容所そのもの」と山田さん。国際交流という面を含め、板東の歴史はオリンピックの理念を象徴していると言うのだ。

 山田さんは力説する。「3年後に向け、世界に『バンドー』を発信するチャンス。いや、しなければならないと思います」。