4月の板東開設100年記念イベントに向け、練習に励む「徳島エンゲル楽団」=徳島大常三島キャンパス

◇エンゲル楽団(下)◇演奏の灯を受け継ぐ


 「世界のどこにバンドーのような収容所があっただろうか」−。

 第1次大戦中のドイツ兵捕虜が後年にこう表現した板東俘虜収容所が、現在の鳴門市大麻町に開設されて今年で100年。開設記念日の4月9日、鳴門市ドイツ館で開かれるイベントに向け、演奏練習に励む人たちがいる。

 「徳島エンゲル楽団」。大正時代にドイツ兵との交流で生まれた徳島初の市民楽団の名称を、現代に復活させた演奏団体だ。

 復活の経緯は1999年までさかのぼる。仕掛け人は当時、徳島市東富田公民館に勤めていた元中学校長の佐藤義忠さん(82)。地域史の掘り起こしに取り組んでいた佐藤さんは、板東のドイツ兵捕虜パウル・エンゲルが、徳島の青年に市中心部で音楽を教えていた史実を知った。

 ところが、周囲に聞いてもほとんど知られていない。「徳島の宝ともいえる歴史を顕彰できないだろうか」。そう思い立ち、手始めに地域住民で東富田エンゲル合唱団を結成。その後、県内音楽関係者に呼び掛け、新しい徳島エンゲル楽団を誕生させた。

 2000年1月、大正期のエンゲル楽団の練習場所にちなみ、徳島中央公園の旧徳島城表御殿庭園で初公演。徳島で西洋音楽の裾野を広げたエンゲルの業績に光を当て、大きな反響を呼んだ。

 その後、常設楽団ではないため出演者の確保に奔走したり、資金難に頭を悩ませたりと苦労の連続。しかし、再びともされたエンゲル楽団の灯を消すことなく、会場を移しながら年1回のペースで演奏会を重ねてきた。

 04年の公演では「よしこの」の名手、お鯉さん(本名多田小餘綾、08年に100歳で死去)のインタビュー録音を流した。ドイツ兵は板東に移転する前、県庁付近にあった徳島収容所で暮らしており、お鯉さんは「幼い頃に収容所から流れてくる西洋音楽を聴いて驚いた」というエピソードを披露した。

 こうした徳島収容所の歴史発掘も楽団の取り組みの一つ。ベートーベン「第九交響曲」は1918年6月、ヘルマン・ハンゼン指揮によって板東でアジア初演されたが、第4楽章に限っては一足早い16年8月に徳島で演奏された。

 「徳島市民も自分たちの文化として第九に関心を持ってほしい」。佐藤さんはそんな思いを抱き、鳴門初演とは別の意味を込めて第九を演奏会で取り上げ続けてきた。

 楽団の活動を、大正時代の団員たちの子孫は温かく見守る。立木写真舘2代目当主の立木真一さんのひ孫、さとみさん(56)は「佐藤先生らの顕彰活動はありがたい気持ちでいっぱい」と感謝する。

 現在、徳島大理工学部教授で合唱団メンバーとして加わる南川慶二さん(52)が楽団事務局を担当。佐藤さんの頼れる後継者として、将来への継続的な活動を目指す。

 当面の目標は4月の板東開設100年イベント。プログラムにはもちろん、第九の「歓喜の歌」が含まれる。

 これまでエンゲルが第九を指揮した記録は見つかっていない。ただ、南川さんは深い感慨を持って語る。

 「ドイツ兵との交流で生まれた楽団の名前を受け継ぐ私たちが、板東開設の日に第九を歌う。本当に特別な巡り合わせですよね」

 収容所からもたらされた文化の種は100年の時を超え、板東の地で花を咲かせようとしている。=第3章おわり