対立続く世界の希望に
冷たい雨が降り始めた午後だった。ドイツの首都ベルリンにあるカイザー・ヴィルヘルム記念教会前では時折、道行く人たちが歩みを止める。雨も気にせず一点を見詰める視線の先には、真っ赤なキャンドルがじゅうたんのように広がっていた。
2016年12月19日、市民や観光客でにぎわうクリスマス市場にトラックが突っ込み、12人が死亡、約50人が負傷したテロ事件。現場近くの教会前では、2カ月半が過ぎた3月6日になっても犠牲者を悼むキャンドルの火がともされていた。
テロへの警戒を強める中で起きた凶行に、ベルリンの街は悲しみに沈んだ。卑劣な事件は遠く離れた鳴門市の人たちにも衝撃を与えた。認定NPO法人鳴門「第九」を歌う会が中心となり、姉妹都市のドイツ・リューネブルク市で開く「第九」里帰り公演が3月11日に迫っていたからだ。
「リューネブルクは人口7万人の地方都市とはいえ、今のヨーロッパはどこで何が起こるか分からない。その不安は大きかった」。実行委員長の亀井俊明さん(73)‖元鳴門市長‖は、公演までの心境を振り返る。
ベートーベン「第九交響曲」を生んだドイツでの里帰り公演は、01年のリューネブルク市、03年のブラウンシュバイク市に続いて3回目。第1次大戦時、鳴門市にあった板東俘虜収容所でドイツ兵捕虜によって第九がアジア初演されてから18年で100年を迎えるのを控え、プレイベントとして準備を進めてきた。
しかし、過去2回の公演から世界の情勢は大きく変わった。過激派組織「イスラム国」が台頭し、15年11月のパリ同時多発テロをはじめ、世界各地でテロが相次ぐようになった。日本、ドイツ、中国、米国の合同合唱団による公演内容が決まった段階でも、「果たして本当に開くべきだろうか」と自問自答を繰り返した。
揺れる気持ちが固まったのは、「鳴門の第九」の原点に立ち返ったことだった。
排外主義と不寛容がまかり通る世の中で、国境を超えた合唱団が、世界平和の願いを込めて第九を歌う。それこそが、戦時中にもかかわらず、日独の温かな交流を育んだ板東収容所の精神を体現することではないか−。
そんな思いに至った亀井さんは日本で50人が集まらなければ催行しないことを決め、自己責任で参加する旨の署名を求めて合唱団を募った。ふたを開けてみれば、鳴門「第九」を歌う会の40人をはじめ、約140人からの応募があった。
予想外の人数に胸を打たれた。「これほど多くの人たちが公演の趣旨に賛同してくれた。『今こそ第九を歌わなければ』という強い気持ちがあったように思う」
3月11日、里帰り公演はリューネブルク市のロイファナ大に新設された音楽ホールで催された。記念すべきこけら落としのコンサートだった。心と声を重ね合わせ、「全ての人々は兄弟になる」と第九を歌い上げた4カ国約260人の合唱団員たち。興奮と感動の渦は会場をのみ込み、満席の聴衆の拍手はいつ果てるともなく続いた。
リューネブルク市のウルリヒ・メドケ市長(66)は「これこそが本物の国際交流だ。生涯忘れることのない体験となった」と感極まった。
公演に先立つ3月7日、亀井さんはベルリンの日本大使館で講演して力を込めた。「民族や宗教の対立が続く今の社会に、鳴門の第九を通して平和を訴えたい」。その思いは大合唱団の歌声となり、ドイツの聴衆の胸に届いた。
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「第九」里帰り公演を、さまざまな視点から振り返る。