震災復興の祈り込め
黄色い横断幕が目に留まった。鳴門市民らの合唱団が「第九」里帰り公演のために訪れたドイツ・リューネブルク市で、広場を歩いていたときのことだ。
遠目に「FUKUSHIMA」の文字が見える。横断幕を掲げていたのは、脱原発を訴える地元の市民団体。「6年フクシマ 31年チェルノブイリ 原発のスイッチを今すぐ止めよう」とドイツ語で書かれていることが分かった。
公演当日を迎えたこの日は、東日本大震災から6回目の3月11日。東京電力福島第1原発の事故を受け、2022年までに原発全廃の方針を決めたドイツでは「3・11」への関心は高い。
「リューネブルクのような小さな街でも福島のことを考えてくれている人たちがいる。うれしい驚きです」
横断幕の近くで口をそろえるのは、福島県会津若松市から公演に参加した葵高校2年の加藤咲希さん(17)と高橋乃愛さん(17)。2人は高校の名門合唱部で活動し、福島民報社の「ふくしま復興特別大使」として派遣された。本番を夕方に控え、一緒に出演する会津第九の会のメンバーと街を散策する途中で通り掛かったという。
内陸部にある会津若松市は、津波や原発事故の直接的な被害は免れた。しかし震災から6年が過ぎた今も、原発事故で全町避難した福島県大熊町の一部町民千人余りを受け入れる。風評被害の影響も残り、市の観光産業を支える修学旅行の団体数は震災前の7割弱にとどまっている。
「福島の復興は道半ば。現在の情報がなかなか県外に伝わらない中、それでも私たちは元気だと発信したかった」。2人の公演に懸ける思いは熱い。
会津若松市は、板東俘虜収容所でドイツ兵捕虜を人道的に扱った松江豊寿所長の出身地。鳴門の第九アジア初演を語る上で欠かせないが、3回目を迎えたドイツでの里帰り公演に会津から参加するのは初めて。
松江所長を顕彰する会津第九の会にとっても、今回の公演は特別なものとなった。事務局長の小澤久美子さん(62)は「松江所長の業績を広く知ってもらう絶好の機会。しかも震災6年の日に第九を歌う巡り合わせに、大きな意義を感じた」と話す。
里帰り公演では、会津から参加した19人が第九を歌った。日本、ドイツ、中国、米国の4カ国による大合唱団も、福島の人たちの気持ちに寄り添い熱唱した。そこには世界平和の願いとともに、震災復興への祈りが込められていた。
公演後、合唱団の一人でリューネブルク市の教員、ジュリアン・ウィリアムズさん(34)は語った。「震災はドイツでも大きく報じられたので、特別な日だと分かっていた。日本、そして福島の人たちと第九を歌えたことは感慨深い」
2人の高校生にも充実した笑顔があった。
「第九は歌うほどに味わい深くなる。もっと勉強して今度は鳴門の公演に参加したい」と高橋さん。加藤さんは「今回の経験で、将来は海外で国際交流に貢献したいと思った。第九で結ばれた会津と鳴門、ドイツの絆も広めていきたい」と夢を膨らませた。
ドイツに響いた「鎮魂の日」の第九は、希望の光となって若い2人の前途を照らした。