鳴門市鳴門町の鳴門山展望台に立つと、眼下に鳴門海峡や淡路島が広がる。双眼鏡を手にした日本野鳥の会徳島県支部長の三宅武さん(74)=石井町石井=は「素晴らしい眺めで、一日中いても飽きない」と声を弾ませた。
春先から初夏にかけて、時間があればこの展望台を訪れる。目的はタカの渡りの観察だ。鳴門海峡は野鳥の渡りの主要ルートとして名高い。この日も早朝から夕方までにハイタカ、サシバ、オオタカといったさまざまなタカが鳴門海峡を淡路方面へ渡っていった。
しかし、渡りの数はピーク時だった1975年ごろの10分の1ほど。鳥類の頂点に立つ猛禽類が少なくなっていることは、餌となる野鳥や小動物も減っていることを示している。
「森林開発や干潟の減少で自然が激減している。野鳥観察をしていて、痛切に感じるのはそのこと。人は自然との共存を考えなければいけないのに...」。表情が一瞬、曇った。
香川県三豊市生まれ。高校卒業後、臨床検査技師になり、徳島県内の病院で65歳まで勤めた。20代のころ、吉野川干潟でシギやチドリを観察しているうちに当時から日本野鳥の会会員だった曽良寛武さんや柴折史昭さんと出会い、意気投合した。
78年、日本野鳥の会徳島県支部が発足した。それから40年。2005年から県支部長を務め、会員300人を束ねる。
野鳥観察会を県内各地で開き、種類と数、日時などを細かく記録し、毎月発行する会報に掲載。各地のデータは日本野鳥の会の基礎資料となり、環境保護に役立てられる。
忘れられない思い出がある。80年ごろ、いつものように阿南市の伊島で野鳥の観察をしていたところ、オオルリが桜の木に鈴なりに止まっている光景を目にした。青い羽根が美しい珍鳥で、普段は1カ所で見つけられるのはせいぜい1羽。「悪天候で離島に足止めされ、その後、増えたのだろう。夢じゃなかろうかと思った」。野鳥の適応力、繁殖力に感心させられた。
「大きな失敗」もした。35年ほど前のことだ。望遠レンズを付けたカメラでノビタキを撮影し、出来上がったプリントを見て恥ずかしくなった。ノビタキの瞳に、三宅さんの姿が映っていたのだ。
野鳥は人が近付くと警戒するのはいうまでもない。繁殖に影響しないとも限らない。これがひなだと、親鳥が育児放棄してしまうことだってある。「写真や観察を優先してはいけない。距離をしっかり保たなければ」。撮影に夢中になりすぎて、接近し過ぎた自らの行動を恥じた。
野鳥とは一定の距離を保つ―。この思いは今も変わらず、鳴門市で営巣するコウノトリの観察ルールにも生かされた。「巣から400メートル以内に立ち入らない」という見物者マナーは、三宅さんが強く求めたものだ。
「野鳥観察をロマンと言っているうちはまだまだ。地味な作業だが、観察を続けることで、自然の大切さを知ることができる。野鳥を大切に思う心が環境保全へつながってこそ意義がある」。