高田義純さん

「曽祖父の足跡を学びたい」と話す松江のひ孫、松江智巳さん=東京都品川区

曽祖父の精神誇りに

 時間は流れ、世代は代わる。板東俘虜収容所で所長を務めた松江豊寿が、東京・狛江の自宅で静かに息を引き取ってから61年。松江を直接知る親族も少なくなった。

 しかし面識がない世代にとっても、松江がドイツ兵捕虜に示した友愛と寛容の精神は誇りとなっている。

 2014年11月、ドイツ中部のフランクフルトで、板東収容所を題材にしたドキュメンタリー映画「敵が友になるとき」(ブリギッテ・クラウゼ監督)が上映された。会場であいさつしたのは松江のひ孫の高田義純さん(52)。「戦時の敵だったドイツ兵を人道的に処遇し、信念を貫いた曽祖父を尊敬している」と語った。

 大手銀行のカナダ支店長として現在はトロントで暮らす高田さんは当時、ドイツに駐在していた。映画には母の薫さん(79)=横浜市=や叔母の松江美枝子さん(16年、76歳で死去)が出演していることもあり、上映会に駆け付けた。

 高田さんは「ちょうどこの時期、私がドイツで暮らしていたことに運命的なものを感じました」と振り返る。

 ひ孫の一人で、横浜市に住む松江智巳さん(47)も、曽祖父との血のつながりを大切にしている。

 東京都内のインテリアメーカーに勤める智巳さんは、薫さんと美枝子さんの弟正春さん(12年、70歳で死去)の長男。15年ほど前から松江の墓がある福島県会津若松市に墓参りに訪れている。

 「松江の家系はみんな会津を離れてしまった。近い親族にはあまり墓参りの習慣がなく、でもこのままでいいのかなという気持ちがあった」と話す。

 智巳さんの本籍地は会津若松市千石町。松江が陸軍を退役して故郷の市長を務めた後、東京に移るまでに一時期住んでいた場所だ。

 智巳さんは若い頃、本籍が必要な手続きの際には会津若松市役所に申し込まなければならず、おっくうに感じていた。本籍変更を考えていたところ、松江とのつながりを残しておきたい市役所から「できればそのままに」と頼まれ、思いとどまった。

 「今となっては変えずに良かったと思う。千石町にも足を運んでみて、自分のルーツは会津にあるんだと感じています」

 昨秋他界した伯母の美枝子さんは親族の中でも特に松江の歴史に興味を持ち、横浜市の自宅に資料や写真を集めていた。鳴門市はもちろん、同市と姉妹都市を結ぶドイツ・リューネブルク市も訪ね、松江と鳴門、ドイツとの絆を強めた。

 智巳さんは美枝子さんの遺品の中から松江の写真を分けてもらった。今、あらためて「曽祖父の足跡について知らなければ」との思いを強くしている。

 5月には、待望の第1子の司穏君が誕生した。「伯母が亡くなり、松江の名を継ぐ新しい命が生まれた。遅くに授かった子だけに、本当に感慨深いものがありますね」

 司穏君が遠出ができるようになれば、まだ智巳さんも訪れていない鳴門市に家族で出掛けようと考えている。

 「息子にも板東の歴史を伝えたい。その日を楽しみにしながら、成長を見守っていきたいと思っています」。