革命さなかのフランスで、王妃マリー・アントワネットが断頭台の露と消えたのは1793年のこと。ギロチンは前年、処刑装置として正式に採用されたばかりだった

 働き掛けたのはパリ大学の教授でもあった医師ギヨタン。刑死者が苦しまないように、との配慮からだったともいわれ、彼にちなみ、英語読みではギロチンと呼ばれるようになる

 程なく欧州各地に広がった。悪人ばかりか、罪なき人々の血も吸って、恐怖政治の象徴ともされた。ドイツではナチスが、抵抗した人を断頭台に送っている。フランスで廃止されたのは1981年。周辺国と同様に死刑自体がなくなり、人道的な処刑具という、形容矛盾も甚だしい装置は役割を終えた

 ギロチンは採用しなかった。だが世界の潮流に従えば、日本もいずれ刑具を歴史のくずかごに放り込まなければならない。ただ正直に言うと、こんな事件の前には考えも鈍る。新潟市で下校途中の小学2年生が殺害された

 首を絞められた後、線路内に放置された疑いがある。殺されて、なお傷つけられる。まだ7歳である。怖かっただろう。どうして、と叫びたかっただろう

 事件と関連しているのかどうか、不審者の情報もあったようだ。自宅まで百数十メートルの通学路で奪われた未来。女児を思うと、どんな刑罰を並べても犯人には足りない。