かつて四国の玄関口として栄えた鳴門市撫養町。撫養港には商船が並び、全国から訪れる遍路もこの地から巡礼を始めた。江戸時代には西に延びる撫養街道が整備され、明治時代に初めて撫養川に架かった文明橋の名は一帯が文明開化で栄えたことから名付けられたという。歴史を感じさせる市中心部の街道沿いを歩いた。

理想の豆・抽出法 香り高く「ザ・コーヒービーンズ」

 通りからも大きなドイツ製の焙煎機が目を引く「ザ・コーヒービーンズ」は、コーヒー豆の専門店。昨年12月に大道銀天街から移転した。浜屋(製塩家)の母屋だった築86年の建物を活用し、吹き抜けから2階を見上げれば、趣のある欄間や床の間、書がしたためられたふすまがのぞく。

 店主の荒川由暢さん(62)は、高校時代にコーヒーに関するハウツー本を見て興味を持った。小遣いで全国の喫茶店を訪れ、自宅で焙煎し始め、24歳でメキシコに渡り、栽培から収穫、精選といった工程を基礎から学んだ。翌年にコーヒー豆専門店をオープンさせてからも、中南米など10カ国以上の産地を巡った。

 抽出方法は一風変わっている。提唱するのは、コーヒー豆の持つ豊かな香りを逃さず、雑味の少ない「ナチュラルドレンチ」という手法。目の細かい金属フィルター付きの専用ポットを使い、コーヒー粉に湯をなじませるように少し注いで30秒。さらに残りの湯を入れて、3分半待つ。

 理想の味を楽しんでもらおうと考案し、間近で見られるようにオープンカウンターをしつらえた。

 京都で仕入れたヴィンテージの照明やテーブルセットが並び、心地よいボリュームのジャズが流れる。「生産者の思いが詰まったコーヒー本来の味わいを多くの人に楽しんでもらいたい」。至福の一杯に出合えるかもしれない。

香り高いコーヒーが手軽に楽しめる「ナチュラルドレンチ」を提唱する荒川さん=撫養町林崎

初代より伝わる和菓子「長栄堂菓舗」

 「鳴門市には和菓子の文化があるんですよ」。大正6年創業の長栄堂菓舗の4代目春木浩良さん(43)が誇らしげに語る。製塩業が盛んだった土地柄。塩にまみれて働く労働者が多かったことから甘党が多く、赤飯に砂糖をまぶす独特の食文化も知られる。中心部の撫養町だけでも10軒余りの和菓子店が軒を連ねる。

 長栄堂菓舗に初代から伝わる焼き饅頭(まんじゅう)「初霜」も、そんな土地柄が生んだ一品だろう。こしあんと水あめを合わせた「ねきあん」入りで表面に砂糖がまぶしてある。低カロリーの砂糖を使うなど改良を加えながら伝統の味を守ってきた。

 1番人気は「かりんとう饅頭」。蒸してから2日ほど乾かし、国産米油で揚げてさっぱりと仕上げる。乾燥具合の見極めが肝心で、梅雨の季節はことさら気配りが求められる。暑い季節には冷たい「水まんじゅう」もお薦め。フリーズドライのイチゴを使ったいちご味など5種が並ぶ。

 壁に張り出されているのは菓子作りを教えた児童からのメッセージ。はるばる三好市西祖谷山村の小学校まで足を運んだこともある。「和菓子になじみの少ない子どもたちでも自分で作ると大喜びで食べてくれる。魅力を伝えることが楽しいんです」と笑顔を見せた。

初霜(左)とかりんとう饅頭を持つ春木さん=撫養町林崎

江戸期から足袋生産「キントキ」

 鳴門市は全国一の足袋の生産地。男性が塩田で働く傍ら、裁縫や機織りの内職で家庭を支えた女性の手仕事から、足袋の生産が発展し、「撫養足袋」として全国に名をはせた。

 「わたしが子どもの頃には足袋屋の数え歌があったほど、街道沿いに多くの店が並んでいました」。そう教えてくれたのは江戸中期から足袋を生産しているキントキの9代目坂田篤司会長(90)。市内の足袋業者の中で最も長い歴史を持ち、1862(文久2)年に淡路島から招いた宮大工が建てた建物も現存する。

 明治時代には坂田姓にちなみ、まさかりを担いだ金太郎をラベルにした「金時足袋」のブランドを展開。昭和初期には満州に工場を持ち、朝鮮半島とも取引があったという。

 戦後になると、ベルトコンベヤーを入れた近代的な縫製工場として脚光を浴び、全国から見学に訪れる人が後を絶たなかった。「作れば作るほど売れた時代でした」と懐かしむ。

 新型コロナウイルスの影響で結婚式や祭りの需要が落ち込んだが、技術力を生かして布マスクの生産に乗り出している。

建物が江戸時代に建てられたことを伝える棟札と自社製の足袋を手にする坂田会長=撫養町南浜

大道銀天街 活性化に期待

未来の鳴門を考える市民会会長

 文明橋から西へ進み、線路を越えると、パンダやウサギ、リスといった動物柄のタイルが歩道を彩る。商店街の大道銀天街には、約220メートルの区間に果物店や婦人服店、居酒屋など20店余りが並ぶ。

 「ここは撫養街道」「四国遍路が始まる街」。銀天街にこんな張り紙をしたのは化粧品店を営む立本利博さん(70)。中心市街地の活性化を目指す「未来の鳴門を考える市民会」の会長を務めており、「鳴門は四国の玄関として栄えた歴史がある。それを体験できる仕掛けがあれば、もっと多くの人を呼び込めるはずです」と力を込める。

 昔は街道沿いに長屋が軒を連ねるのみで、すぐ裏まで塩田だったという。「細長い町だったので『鳴門のふんどし町』と呼ばれていた」。1975年から道路を拡幅して歩道を設け、塩田跡には市街地が広がる。

 大道銀天街では、「100円商店街」や「いす-1(ワン)グランプリ」など活性化イベントを若手の後継者らが企画運営している。「頼もしい後継者がどんどん育っているんですよ」。柔和な表情で移りゆく街並みを見つめた。

大道銀天街の歴史について語る立本さん=撫養町南浜