アルゼンチンと米国の在外教育施設で計6年間教壇に立ち、16年間の学校勤務では小学校での4年間を除き、全て富田中学校で勤めた。同校女子卓球部を全国2位にした指導者でもある。教員として異色といえる経歴に、県内81中学校長のまとめ役が加わった。
次期学習指導要領への対応や教員の多忙化解消などの課題が山積する中学校。校長会総会では「教育改革の第一歩は自校から」と訴えた。これまでの教員生活で得た教訓を言葉に込めた。
アルゼンチンから3年ぶりに帰国し、2度目の富田中勤務となった1997年、自身の学びやでもある同校は「荒れた学校」へと様変わりしていた。器物損壊や暴力、家出・・・。生徒指導を担う役職に就き、昼夜を問わず対応に奔走した。
個別事案に対処しても学校全体の雰囲気は変わらず「学校だけで根本的に解決するのは難しい」と思い至る。保護者や地域住民、防犯組織、警察などに情報公開して連携を深めるよう学校の指針を改めた。地域と家庭、学校が一体となり対応することで次第に落ち着きを取り戻していった。
「当時の校長が任せてくれたから課題を解決できた。管理職のリーダーシップの大切さを学んだ」
当時苦労を共にした地域住民や、保護者となった卒業生らは今も学校を支えてくれる。「人の縁が財産ですね」と目を細めた。
2人の娘は独立し、徳島市沖浜町で妻と2人暮らし。59歳。