例えばこちらは、最近なら父でも代替可能に思えるのである。<母の日のてのひらの味塩むすび>鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)
ならばこちらは、どうだろう。言葉の問題はさることながら、詩の持つイメージに、父が太刀打ちできるだろうか。<-海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西(ふらんす)人の言葉では、あなたの中に海がある>三好達治
仏語で母はmere、海はmer。「母なる」とくれば、海であり、大地であり、大河である。母という字からは、豊かさや包容力といった語句が次々立ち上ってくる
「父なる」とくれば神だから、そのすべてを創造したのだと言い張ってもいいのだが、きょうは母の日。母に花を持たせる日である。父がおむすびを握る時代になっても、子を産んだ母にはかなわないところがある。<その五月われはみどりの陽の中に母よりこぼれ落ちたるいのち>今野寿美
米国が発祥のこの記念日。カーネーションの風習は戦前、母を亡くした女性教師が、在りし日をしのび、教会の友人に白花を配ったのが始まりだという
年を食うほどに人間、素直でなくなり、恥ずかしくて口にできない言葉が増えていく。記念日は、そんな人のためにある。後悔する前に、思い切って口に出してみるのが、何よりのプレゼントになるかも。「母さん、ありがとう」。