GHQが徳島の被害状況などを記した報告書(エルドリッジさん提供)

 1946年12月21日に起きた昭和南海地震で、当時日本を占領していた連合国軍総司令部(GHQ)が徳島の被害状況などを記録した内部資料が、米国の大学で見つかった。GHQが被災者に支援活動を行ったことや被災地に送られた救援物資などについて詳しく書かれている。発生から間もない時期の詳細な地震被害について記した資料は珍しい。県立文書館は「地震の実態や被災後の状況を知る上で貴重な資料だ」としている。

 当時はGHQの軍政部が沖縄以外の各都道府県に配置されており、今回見つかった資料は徳島軍政部と香川軍政部から上部機関に送ったとみられる2種類の報告書。日付はそれぞれ47年1月4日付と同6日付。

 徳島の報告書では、震源地が徳島の南東180キロで、県の南東部では地震に続いて津波が発生したと説明。警察が緊急事態に対処する任務で呼ばれ、食料や医療品などの救援物資は鉄道と船で被災地に送られたことなども記されている。

 地震による県内の死傷者や流出・全壊家屋、損壊した橋、道路などの被害状況を表すデータも詳細に記録している。

 香川軍政部の報告書には、英連邦占領軍が被災者支援のため、地震5日後の12月26日から毛布や衣類を送り始め、その後列車で徳島と高知に移送した経緯が書かれている。列車は高松―高知間が地すべりと橋の崩壊で29日まで運休。高松―徳島間は24時間以内に復旧したとしている。

 GHQからはウールのジャケットやズボン、毛布、ばんそうこう、肉の缶詰が救援物資として支給されたとしている。

 日米の安全保障や防災政策について研究する米国出身の政治学者ロバート・エルドリッジさん(49)=兵庫県川西市=が今年9月、米ノースカロライナ州のデューク大で資料調査を行った際に見つけた。同大にはGHQの元幹部が所有する文書を寄贈していた。

 昭和南海地震発生時は物資の乏しい戦後の混乱期で、地震の被害などを記録した資料は少ない。GHQ側の資料も被災直後の徳島の状況を詳細に記したものはほとんどなかった。

 南海地震の史料調査を行う県立文書館の金原祐樹課長補佐は「どんな救援物資が徳島に送られたのか、どう輸送されたのかなど、不明だった点が多く解明された。これまで発見された資料の裏付けにもなる」と評価する。

 エルドリッジさんは「東日本大震災では米軍が救援や復興支援活動を行った『トモダチ作戦』が注目されたが、71年前にも同様の支援が行われていたことが感慨深い」と話している。

 ◎二つの報告書の要旨

 ●12月21日4時21分(原文まま)に地震が発生。徳島県内では揺れが6分間続き、津波で南部の4村が孤立した。食料や衣料品などの救援物資は鉄道や船で被災地に送られた

 ●救援物資の需要が高まり、香川県が22日、高知県に1200石の米を送った

 ●22日には神戸から70トンの肉の缶詰が届き、香川県が20トン、徳島、高知が25トンずつを受け取った

 ●英連邦占領軍が26日から毛布や衣類などの救援物資を送り始めた。徳島、高知には列車で送られた

 ●高松―高知間の列車の運行が地すべりと橋の崩壊で止まり、29日に再開。高松―徳島、高松―松山間は地震から24時間以内に復旧した

 【昭和南海地震】

 1946年12月21日午前4時19分、和歌山県潮岬沖約50キロを震源として発生。マグニチュードは8・0で、徳島、高知、和歌山などの太平洋沿岸に4~6メートルの津波が押し寄せた。全国で死者1330人、家屋全壊1万1591棟などの被害が出た。徳島県内の被害は死者202人、家屋全壊602棟、半壊914棟、流出413棟など。