広がる心のハーモニー
1824年、ベートーベンが最後の交響曲「第九」を世に送り出した。ヨーロッパがフランス革命、ナポレオンの台頭、神聖ローマ帝国の解体という激動の時代を迎えていた頃だった。
「全ての人々は兄弟になる」「この口づけを全世界に」−。不安定な社会情勢を映し出したのか、第4楽章「歓喜の歌」には、人類愛や世界融和のメッセージが込められた。
以来、第九はさまざまな局面で登場した。1918年、第1次世界大戦の終戦を受け、ドイツで開かれた「平和と自由の祭典」、89年12月25日、ベルリンの壁崩壊を祝う記念コンサート、98年の長野五輪では小澤征爾氏の指揮で5大陸同時中継が実現し、歓喜の歌が地球を包んだ。
この第九を日本にもたらしたのは第1次大戦だった。
18年6月1日、鳴門市大麻町にあった板東俘虜収容所に第九が響いた。演奏し、合唱したのは中国・青島で日本に敗れたドイツ兵たち。後に、これが第九のアジア初演と分かった。
収容所では松江豊寿所長(1872〜1956年、福島県会津若松市出身)による寛大で人道的な運営方針のもと、音楽以外の文化活動や生産活動も収容所内外で認められた。これにより敵国にもかかわらず、音楽指導など、住民と捕虜との交流も生まれた。こうした奇跡のような史実が板東に残った。
第九の誕生から192年、アジア初演から間もなく100年。人類は進歩したのだろうか。ベートーベンが曲に託した思いを、しっかり受け止められたのだろうか。今も地球上のどこかでテロや紛争が続く中、板東の史実を世界中に届けたい。節目を前に、私たちはそう考える。
13日、徳島県や徳島新聞社などは、公共の場で第九の演奏を突然始める「フラッシュモブ」と呼ばれるサプライズ演出を東京の2カ所で行った。合唱団には鳴門の人も、会津の人も加わった。
演奏前、指揮者が合唱団に声を掛けた。「ベートーベンが願った通り、みんなが心を一つにして歌いましょう」。周囲では板東の史実を伝える号外も配られた。「さあ、ご一緒に」。指揮者の呼び掛けに「ラララ」と応じる人の姿も。心のこもったハーモニーが一人、また一人と広がった。