七澤英貴さん(62) 東京アカデミック管弦楽団 代表理事・オーボエ奏者 

まだまだ奥が深い曲

 1998年、神戸淡路鳴門自動車道の全通を記念し、小澤征爾さんが指揮をした鳴門市での第九演奏会に、新日本フィルハーモニー交響楽団の一員として参加した。そのとき板東で第九がアジア初演された歴史を知った。

 ドイツのオーケストラに4年間在籍した時、ベートーベンの交響曲は8番までは全部やったが、9番だけはやらなかった。それほど特別な曲なのだと思う。

 板東俘虜収容所の松江豊寿所長は捕虜に対し、祖国のために戦ったのだからと、広い度量で接した。国境を越え、人を認め、人類が一つになる、地球が一つになる−。板東の初演の話は、第九そのものと重なる。第九演奏会を30年以上にわたり、継続してきた鳴門の人の心意気にも敬意を表したい。

 人間愛や、人の優しさということを第九には感じる。また演奏していて、第九には音楽的な深さ、難しさもある。例えば、遅いテンポの第3楽章は、指揮者によって自然に音を引き出されるが、その時に「あっ、こういう音楽だったんだ」と気づかされる。まだまだ奥は深い。

板東俘虜収容所

 1914年7月に第1次世界大戦が勃発。勢力圏拡大をもくろむ日本は8月、ドイツに宣戦布告し、ドイツ軍の拠点、中国・青島を包囲した。3カ月後、ドイツ軍は降伏した。

 約4700人のドイツ兵捕虜は東京、徳島、福岡など12カ所の収容所に入れられた。その後、鳴門市大麻町の板東、習志野、名古屋などの6カ所に統合され、板東では17年4月から2年10カ月にわたり、千人を超す捕虜が過ごした。

 板東俘虜収容所は小さな町のようだった。兵舎8棟や将校棟、倉庫棟が並び、捕虜たちが働く場として80軒余りの商店街、レストラン、印刷所、図書館、音楽堂、科学実験室などの施設もあった。

 学習、講演、スポーツ、音楽、演劇などの文化活動も盛んで、音楽活動では管弦楽団、吹奏楽団、合唱団が存在し、捕虜の1割以上が関わっていた。第九を演奏したのはヘルマン・ハンゼン一等軍楽兵曹が率いる徳島オーケストラ(45人)。合唱は独唱4人を含めた84人が参加した。

 ハンゼンは音楽学校で学んだ経歴を持ち、相当な力量を持っていたとされる。第九の初演時も、女声パートをハンゼンが書き直し、男性が歌った。