戦時下で圧倒的な力
交響曲の父と呼ばれるハイドンやモーツァルトの後に現れたベートーベンは、交響曲にトロンボーンを定着させたり、コントラバスだけのパートを作ったり、いろいろ器楽的な改良を行った。そして9曲目の交響曲で、メッセージをより強く発信するため、交響曲に当時ほとんど例のない声楽を加えた。第九はそういう点で画期的な音楽作品だった。
板東初演の史実は、音楽雑誌「モーストリー・クラシック」(産経新聞社)の8月号で執筆した「戦争と音楽家」をテーマにした記事の中でも紹介した。この歴史は多くの人に知ってほしい。松江豊寿所長の処遇のおかげで音楽活動が盛んに行われ、さらにはオーケストラを結成できるほどの音楽力が捕虜たちにあったという事実にも驚かされる。
戦争によって、板東の物語は生まれた。戦争は絶対悪で、決して美化してはいけない。しかし、そういう極限の中だからこそ、音楽の圧倒的な力も実感させられる。戦争の副産物として第九の板東初演が実現したことは皮肉だが、やはり、第九のメッセージのように、私たちは戦争のない世の中、温かい人類愛に満ちた社会を目指さなければならない。