徳島県内の秘境として知られる三好市東祖谷の名頃地区には、全住民数27人をはるかに上回る約350体のかかしが立ち並ぶ不思議スポットがある。この地は数年前、あるドイツ人映像作家がドキュメンタリー作品の中で紹介したことから世界的に注目を集めることになった。「徳島ワンダーランド」第5回は、今や国内外から観光客が集まる「かかしの里」を訪れた。

 徳島市内から徳島自動車道と国道438号を経由して西へ約2時間半進み、徳島第一の高峰・剣山登山口がある見ノ越を通過して国道439号をさらに西へ走ること約20分。標高900㍍付近の別名「天空の村」と呼ばれる名頃地区に差し掛かると、不思議な光景を目にすることになる。

道沿いの至る所に個性豊かなかかしが立ち並ぶ=三好市東祖谷

 数百㍍にわたって道沿いや畑に立ち並ぶ人間大のかかし、かかし、かかし…。子どもからお年寄りまで年齢や性別はバラバラで、それに合った服を着ている。バス停のベンチに座っていたり、畑仕事をしていたりと、表情や体格、ポーズも一体一体異なっている。

 これらのかかしを一人で作っているのが、地区に住む綾野月美さん(71)だ。綾野さんは「車で通りがかる人はみんなびっくりする。かかしがあるから素通りにされずに立ち寄ってくれるんよ」と顔をほころばせる。

材木置き場がかかしたちの憩いの場になっている=三好市東祖谷

 綾野さんは2002年、高齢で一人暮らしをしていた父を心配して大阪市から単身帰郷した。程なく畑仕事を始めた綾野さんは、農作物を狙う鳥獣対策として父をモデルにしたかかしを作った。

 畑に置いたところ、近所の人たちが父だと勘違いしてあいさつし始めた。それを面白く思っていろんなかかしを庭や畑に置き始めるうちに夢中になり、しばらくして「かかしの里」のうわさは旅人などの口コミで県外まで広がっていった。

のどかな村の風景に溶け込んでいるかかしたち=三好市東祖谷

 綾野さんのかかしは、趣味の人形作りの技法を応用して制作される。初めに材木を十字に組み、その上部に不要な服を巻き付けて頭部を作る。胴体と手足は束ねた新聞紙やハンガーなどの針金類を付けて作り、全体を布で縫い合わせる。

 髪の毛は毛糸、目はボタン、鼻や口には糸を使う。性別や年齢に合わせた縫い具合でしわや口元を表現し、最後に化粧品で頬や唇に紅を入れる。1体作るのに2、3日かかり、寿命は約2年。毎日見回って、壊れていれば持ち帰って作り直す。

 かかしのモデルになっているのは、綾野さんの幼い頃の記憶にある名頃の住民たちだ。道沿いを登下校する子どもたち、集会所で男たちが寄り合い、材木置き場では女性たちが井戸端会議に興じる。廃校の体育館で開かれる運動会では大人と子どもが一緒に綱引きや阿波踊りを楽しむ。

かつて集会所で寄り合った大人たちを思わせるかかしたち=三好市東祖谷

 どこからか笑い声や話し声が聞こえてきそうなその光景には、かつてのにぎわいを懐かしむ綾野さんの思いが込められている。綾野さんは「私が小学生だった頃は住民がいっぱいいた。久しぶりに戻ってきたら、周りは空き家ばかりになっていた」と振り返る。

 名頃はかつて林業やダム建設で栄え、1950~60年代には約300人が暮らしていた。しかし、ダム建設が終わると若者たちは仕事を求めて山を下り、地区は過疎化の一途をたどった。2012年には綾野さんが通った名頃小学校が閉校になり、2人いた児童も家族と共に地区外に移住して住民は高齢者だけになった。

 そんな過疎地が、14年に現地を訪れて撮影したドイツ人映像作家フリッツ・シューマンさんのドキュメンタリー作品をきっかけに海外から注目されることになる。約6分の映像では、綾野さんのインタビューと日常生活の映像と共に、個性豊かなかかしが点在する名頃の風景を感傷的に映し出している。

 動画投稿サイトで作品が配信されると反響を呼び、フランスや米国など海外のテレビ局が取材に訪れたこともあって中国や台湾、米国、ドイツなどからの観光客が激増。動画はこれまでに60万回以上再生され、全国に「かかしの里」が広がるきっかけにもなった。

 古里・名頃に対する綾野さんの愛が起こした奇跡ともいえるこのにぎわい。毎日のように訪れる外国人観光客らの対応にも、かかしと同じ人懐こい笑顔で対応する綾野さんは「かかしのおかげで、こんな山奥にいたら接点がなかった国内外の多くの人と出会えた」と喜びを語る。

綾野さんのかかし作りの拠点になっているかかし工房=三好市東祖谷

 新型コロナウイルスが猛威を振るった20年は外国人観光客がほとんど訪れず、13年から毎年10月に開いていた「天空の郷・かかし祭り」も中止になって、ここ数年のにぎわいがうそのような静かな状態に逆戻りした。それでも綾野さんは「やることはいっぱいある」と前を向く。

 毎月第4水曜には元集会所を活用した「かかし工房」でかかし作りの講習会を開き、徳島市内でも定期的に出張教室を開催。県外から依頼があれば作り方を教えに出掛け、イベントにかかしの貸し出しも行っている。「元気な間はかかしを作って、来てくれる人に楽しんでもらいたい」。古里への愛着を胸に、綾野さんは今日もかかしを作り続ける。