岡本光雄氏

 2月13日午後11時すぎ、宮城、福島の両県を強い地震が襲った。恐る恐る古里の話を聞く。

 「ずっと続いているんですよ」

 ずっととは、10年前に起きた東日本大震災と福島第1原発事故から続く影響を指す。福島の地元紙、福島民報の安斎康史編集局長(56)が電話口で発したのは、この言葉だった。

 3・11の再来を思わせる揺れの後、記者の安否確認は手早く終わったという。「携帯電話がつながりやすかったのもありますが、生身に刻んでいる経験が生かされた形です」

 余震は続くぞ、海辺に近寄るな、取材の安全を確保せよ。そう指示するまでもなく記者は対応していた。幸い津波の心配はなかったが、深夜の強い地震は思いがけない被害をもたらすのが常だ。

 相馬、新地、国見と市町名が流れる。塀が倒れた、けが人がいるもよう、土砂崩れも。

 福島市で生まれ育った安斎さんにとって福島は産土(うぶすな)。いわき市出身の私もその1人。再び産土が汚されるのではないかという不安が頭をよぎった。

 「気象庁は」「東京電力によると」に聞き耳をたてる。地震直後に福島第1原発で確認された被害はなかった。緊張は少し和らぐが、いつになったら、こうした報道に区切りがつく日は来るのだろうかと嘆息する。

 本紙の23日付の社説に、こんなくだりがあった。<あれから10年を経ても、福島原発と周辺住民の悲劇は現在進行形で語られている。廃炉処理に確たる見通しはなく、決して過去形にならない>

 終わりの見えない事故処理。だが、その始まりをじかに取材したことのない記者が増えている。安斎さんは言う。「子ども時代に大震災、原発事故に遭っている若い記者と、なぜ事故は起きたのか、なぜ双葉郡に立地したのか・・・、背景や事故後の経過をしっかり共有していかなければならないと思っています」

 廃炉作業には気の遠くなるような時間を要す。帰還困難区域の避難指示が解除されるのはいつなのか。放射性物質トリチウムを含む水はどう処理するのか。粘り強く取材して声をすくいあげて、発信していかないと、風化は加速し、風評被害も広がってしまう。安斎さんの今の思いである。

 歳月がたてば、どんな災害も風化は免れない。だからこそ「諦めずに福島の現状を伝え続け、県民と喜怒哀楽を共にしていくことを大切にしていきます」。福島民報と本紙は共催事業などを通じて交流している。この意識も共有していく。

 原発事故で会津若松市への避難を余儀なくされた双葉郡大熊町は今月、その感謝の気持ちも込めて日本酒「帰忘郷」を完成させた。きぼうきょう、と読む。

 10年の節目に、福島民報は、古里の可能性を信じて双葉郡の取材態勢の強化を図る。

福島民報「特集 東日本大震災・原発事故10年」ページ⇨https://www.minpo.jp/pub/sinsai/