南相馬市に移住し、旅館の仕事に励む片岡さん=同市の抱月荘

 徳島県吉野川市鴨島町出身の片岡貴夫さん(27)が、10年前の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で甚大な被害を受けた福島県南相馬市に移住し、長期休業を余儀なくされた老舗旅館の復活に貢献している。復興に役立ちたいとの思いから、旅館が再開した3年前に就職した。誠実な人柄と笑顔で宿泊客らをもてなしている。

 旅館は1970年創業の「抱月荘」。約1万1千平方メートルの庭園が売りだ。地震発生直後は避難住民を受け入れていたが、原発の爆発後に休業した。3代目の高藤明彦さん(46)は妻の実家がある熊本県に避難し、旅館敷地の放射線量が高水準で土壌などの除染に時間を要したため、休業は7年に及んだ。

 営業再開を決めたのは、安全が確認できた2018年。元スタッフは土地を離れて各地に散らばったため、官民で被災地を支援する「公益社団法人福島相双復興推進機構」(福島市)を通じて人材を募集した。採用した5人のうちの1人が片岡さんだった。

 震災発生時、片岡さんは城ノ内高校の2年生。テレビの特集番組に衝撃を受け、被災地に目を向けるようになった。さらに、愛媛大進学後に人生を方向付ける出会いがあった。

 南相馬市で農業を営んでいた愛媛大OBの男性が、家族そろって愛媛県に避難した。片岡さんは大学の仲間と一緒に、異郷の地で農業を再開する男性の手伝いをした。目の前に迫る津波や行方不明者の捜索、農作業小屋での避難生活...。「被災体験を聞くうちに、被災地の復興に関わらない人生なんてあり得ないと考えるようになった」と言う。

 大学卒業後、被災者支援に取り組む愛媛県内のNPO法人で1年ほど働いていた片岡さんは「現地に移住して職を持つことが、復興に直接貢献する近道ではないか」と思った。被害の大きかった地域で就職先を探す中、抱月荘の求人に行き着く。高藤さんの「家業の復活が地域の復興につながる」との信念が志望の決め手になった。

 片岡さんの主な仕事は客室のベッドメークや食事の配膳。コロナ禍前は、つらい被災体験を持つ地元住民が法事などの会食で利用するケースも多く、「僕の接客で喜んでもらえると、心からやりがいを感じる」と話す。

 高藤さんも「避難したまま帰ってこない人が少なくない上、若い人が東京や仙台に一層流出するようになった。若いIターン者は珍しく、貴重な戦力」と歓迎する。

 片岡さんが働き始めたのを機に、高知産のカツオのたたきに徳島産スダチ酢のジュレを添えるなど、料理に四国の特産物を取り入れた。

 19年6月には、徳島へのUターン就職を望んでいた両親も抱月荘で宿泊し、「自分の元気な様子を見て安心してくれた」。

 休日に原発施設の方向に車を走らせることがある。国道沿いがバリケードで封鎖され、パチンコ店は骨組みだけのまま。

 片岡さんは「故郷を離れざるを得なくなった避難者に代わり、目の前の風景を心に焼き付けている。いつか伝える機会があるかもしれないから」と力を込めた。

 南相馬市の被災状況 福島第1原発から20~30キロ圏内の地域が大半を占め、事故後、避難指示や屋内退避指示が出された。津波による直接死は636人。震災直前の人口7万1494人のうち、2012年12月13日時点で市外避難者1万8148人、転出者5635人、所在不明者(死亡者含む)2079人。南相馬市や原発のある双葉郡などの相双地域の有効求人倍率は20年12月で1・92倍(徳島労働局管内の同月は1・06倍)と高水準で、人材不足が続いている。