海陽町が整備した津波避難タワー=同町宍喰浦

 東日本大震災から間もなく10年を迎える。この間、徳島県内でも地震や津波から命を守るためのハード整備が沿岸部を中心に進められてきた。しかし、10年という歳月は過疎や高齢化を一段と進行させ、地域の防災力も低下するなど新たな課題を生み出している。いま、あえて問うてみたい。この10年で「救える命」は増えたのか。記者が現場を歩いた。

 瓦ぶき屋根の住宅がひしめく海岸沿いの集落の中心に、巨大なコンクリート構造物が威容を誇っていた。地上部には蹴破って開ける非常用の扉が二つ。それぞれの扉からは高さ14メートルの最上部まで向かう階段が続く。情緒ある町並みとは対照的に映るこの無機質な構造物は、海陽町宍喰浦地区に町が2015年に建設した津波避難タワー(480人収容)だ。

 周辺を歩き、近くに住む男性(77)にタワーに上ったことがあるか聞いてみた。「ないない。ほとんどの人がないんちゃうん」。意外に感じて別の女性(73)にも尋ねてみると「足も悪いし、上がろうとも思わん」と返ってきた。

 男性は昭和南海地震(1946年)の津波で自宅から離れた愛宕山まで避難した経験がある。愛宕(あたご)山より近くにタワーがあるにもかかわらず、避難しない理由を聞いてみた。

 「年寄りは逃げるだけ無駄。津波が来たら柱にロープで体をくくって、せめて遺体だけは見つかるようにする」。女性も「歩くんも嫌やのに、階段や上れるわけない」。

 確かに、最上部まで続く階段には手すりが付いているものの、勾配が急な上、折り返しも5カ所あり、上る距離も約42メートルと長い。地区の避難猶予時間は最短で7分とされる。高齢者からすると、上る前から拒絶反応を起こしてもおかしくはない。ただ、取材した10人のうち、半数が「避難しない」という趣旨の回答をしたことに驚いた。

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 東日本大震災では、被害の大きかった岩手、宮城、福島3県のうち、犠牲者の65%が60歳以上だった。3県の人口に占める60歳以上の割合が当時31%だったことからすると、津波の被害は高齢者に集中した。

 津波から避難する時間の短い徳島県南部や高台のない平野部では、東日本大震災を教訓に津波避難タワーの建設が進んだ。県によると、県内にある11カ所のうち、宍喰浦地区を含む8カ所は震災のあった11年以降に整備された。住民の命を守るハード整備はこの10年で進展したといえる。

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 一方、防災の主役である住民の高齢化もいや応なく進む。漁師の俵谷博行さん(83)は「今だったら階段を上れるかもしれんけど、5年たったら無理だろう」。

 大津波はいつ来るか分からず、過疎と高齢化が進む地区にも時間は等しく過ぎていく。ハード整備ができてもどこまで有効に働くかは地域の高齢化と無関係ではない。

 行政はどう受け止めているのか。

 海陽町役場に尋ねた。担当課は「まずはタワーの麓まで逃げてもらえるように周知・啓発を続けたい。今後は住民個別の避難計画を検討するなど、新たな対策をしていく必要があるだろう」とした。

 タワー周辺の浜地区自主防災会の長井淳会長(48)に聞くと、防災訓練の参加者は震災の記憶の風化も相まって年々減っている。「たどり着いてくれさえすれば、若い世代で補助できる。一人でも多く避難してもらうために、地道に活動を続けるしかない」

 専門家にも意見をぶつけてみた。津波防災に詳しい徳島大の山中亮一講師(海岸工学)は「避難の基盤施設は整いつつあり、今は皆でそれらをどう良くしていくか考える時期に差し掛かっている」と指摘。「高齢者の中には、タワーに上り切ってもそこで長期間過ごせるのか不安感を覚える人も多い。だからこそ住民側もニーズを発信し、行政と共に避難施設を改善していく意識を持ってほしい」と語った。