「言葉で表現し、被災地とつながることが大切」と話す竹内紘子さん=徳島新聞社

津波被害を受けた宮城県の旧中浜小学校=2016年4月(竹内紘子さん撮影)

 東日本大震災が起きた2011年3月11日から間もなく10年。未曽有の被害に、徳島の作家や芸術家たちも大きな衝撃を受けた。その後、被災地を訪れ、あるいは思いをはせ、鎮魂や復興への祈りを込めた創作活動に昇華させた。今、作家たちは何を思うのだろうか。

 圧倒的な力で押し寄せる津波に流される家や車、逃げ惑う人々・・・。突然起こった未曽有の災害の凄惨な光景をテレビのニュース映像で繰り返し見た10年前の衝撃を、元教員で児童文学作家の竹内紘子さん(77)=徳島市=は、今も忘れはしない。

 あまりのショックに強い目まいと激しい嘔吐(おうと)に襲われ、体が動かない。救急車で病院に運ばれ、メニエール病と診断され、入院を余儀なくされた。「あっという間に多くの命が奪われる恐怖におびえ、退院後も体調は優れなかった。体験したことのない災害の前に人間の無力さを思い知った」

 何かで役に立ちたいと、震災直後から被災地の子どもに本を送る活動に奔走した。合計千冊を超える図鑑や百科事典などを送った。

 ようやく被災地を訪ねる気持ちになれたのは、震災から5年たった16年。福島大出身の教え子が案内役を買って出てくれ、津波の被害が大きかった宮城県の海岸沿いを見て回った。復興事業が進められていたものの、多くが手付かずで残っていた。津波の深い爪痕に言葉を失った。

 宮城県山元町坂元の旧中浜小学校も訪れた。ピンク色の校舎と三角屋根が目印だ。津波で廃虚と化したが、震災当時教員の機転で多くの児童や地域住民が命をつないだ。

 「自分にできることは何かを考えさせられた。すると筆が勝手に動いたんです」。竹内さんはその時と感情を「ピンクの校舎と青い海」と題した詩に記した。子どもたちの恐怖や不安に思いを寄せた。今も目を閉じるとよみがえってくる光景だ。

 反響は大きかった。神奈川県鎌倉市の中学校ではこの詩が授業で取り上げられ、生徒から多くの感想が寄せられた。千葉県市川市の聴覚支援学校の生徒たちは、詩をテーマに影絵を作って上演し、被災地への思いを新たにしてくれた。

 だが、東北は遠いことを今、改めて思う。竹内さん自身、それ以来、現地に行くこともできない。「復興はまだ道半ば。被災者の生活再建は簡単ではない。被害は人によってさまざまで、被災地の経済格差は広がるばかりだ」

 コロナ禍の中、2月にも大きな地震が東北を襲った。天災の恐ろしさを知るとともに、備えの大切さを痛感している。

 たとえ現地に行けなくても、できることはないか。考えた末に思い至った。「それは言葉でつながること。その絆が大事」。竹内さんは力強く語る。

 震災の語り部活動をする仙台白百合学園高校の生徒から聞いた言葉が今も耳に残る。<表現するのは難しい。それでも言葉に出さなければ無です>

 震災から10年を経て、言葉の大切さを改めて感じている。記憶はいつの日か忘れてしまうが、言葉はいつまでも消えない。詩や文章もそうだ。「言葉で災害の教訓を次世代に伝え、人と人の絆、地域のつながりを強くできれば」。喜寿を迎えた竹内さんの切なる願いだ。

「ピンクの校舎と青い海」

 宮城県亘理郡山元町坂元

 中浜小学校のピンクの校舎

 ひみつの三角屋根裏は遊び場所

 光りかがやく海をみながら

 クスクス笑いあって

 くすぐったい明日を夢みていた

 あの日

 遊び場はひなん場所になった

 牙をむいておそってくる波

 化けものになった海

 おかあさん おとうさん

 おじいちゃん おばあちゃん

 さけびそうになるのをがまんして

 歯をくいしばりじっと耐えていた

 あれから五年

 六m(メートル)の波跡 黒板 垂れた配線

 ここは教室だった

 花壇に花が咲いている

 パンジー ビオラ タンポポ

 青い海が静かに波打っている