当時の活動について話す玉田さん=徳島市の県赤十字血液センター徳島駅前出張所

 東日本大震災から10年を迎える。発生直後に岩手県山田町と宮城県石巻市の避難所などで、日本赤十字社県支部の医療救護班の一員として活動した玉田敏彦さん(50)=県赤十字血液センター徳島駅前出張所長=に当時を振り返ってもらった。

 救護班の第1班で医師らと共に陸路で東北へ出発したのは2011年3月11日の翌日。13日に岩手県盛岡市の盛岡赤十字病院に着き、沿岸部にある宮古市の災害対策本部に移動した。14日に被害が大きいと聞いた南隣の山田町に入った。

 多数が避難しているとの情報を得た県立山田高校を訪れると、体育館などに1200人余りが避難していた。電気と水道は止まり、携帯電話は通じない。被災者は肩を寄せ合い、町の保健師や教員、歯科医らで何とか持ちこたえていた。校長に話し掛けると、「待っていました。みんな不安がっています」と強く手を握ってきた。

 すぐに救護所を設営し、巡回診療を始めた。重症者はいなかったが、高血圧や糖尿病などの常備薬を失って困っている人が少なくなかった。薬の名称が分からず、形や色を細かく聞いて対応した。

 町内の被災状況も確認して回った。マンションの2階に突っ込んだ車、5階建ての4階までがれきが詰まった建物。結婚式の写真を持ち、憔悴(しょうすい)しきった表情で歩くおじさんとも擦れ違った。

 第2班に活動を引き継ぐ前日の15日午後3時ごろ、電気が復旧した。体育館の避難民から歓声が上がり、医師の診察を受けていた若い女性は緊張の糸が切れたのかぼろぼろと涙を流していた。16日まで活動し、第2班に引き継いだ。4月4~6日には第6班で石巻市に派遣され、石巻赤十字病院の救急外来や石巻専修大学の救護所で活動した。徳島県民の代わりに職員を代表して活動したということを強く感じている。