偉人の一人として幼心に刻まれているのが、細菌学者の野口英世だ。大やけどを負わせてしまったと悔いる母は、貧しいながらも学校に通わせ、息子の無事を祈った
母の一念は地元、福島県猪苗代町の願いになる。米国のロックフェラー医学研究所に入り、梅毒スピロヘータの研究などで脚光を浴びる。1915年9月、帰国した彼を古里の駅で800人が出迎えたという
その野口が西アフリカの現ガーナで黄熱病を研究中に感染し、亡くなったのは28年5月21日。2日後の福島民報は「世界的醫學の泰斗 逝去を悼む」と伝えた。慕う声は大きく、町には野口英世記念館もできた
没後90年。所在不明になっていた野口を病理解剖した所見ノートが現地で見つかった。館を運営する野口英世記念会の竹田美文副理事長(82)=美馬市脇町出身、元国立感染症研究所長=は「約450ページあるノートの1ページだが、読むと生々しい状況が目に浮かぶ」。在ガーナ日本大使館の折衝もあって、命日のきょう受け取り、来月10日から記念館で公開する
腸管出血性大腸菌O157などの専門家として知られる竹田さん。国内外で研究を続け、学生当時に一度、訪れたという猪苗代に再び
移住し5年になる。役に立てるならどこへでも、と。招かれ、導かれの人生。脇町の人あっての「野口」である。