被災地の写真を見ながら大震災の教訓を語り継ぐ決意を新たにする久米さん=美波町西の地

 徳島県阿南市の富岡小学校教諭の久米灯(あかり)さん(29)=美波町西の地=は、仙台市の宮城教育大1年時に東日本大震災に遭った。ライフラインの復旧が見通せない中で友人と避難生活を送り、自助や共助の大切さを学んだ。教壇に立ってからは自らの体験を児童に伝え、南海トラフ巨大地震への防災意識を高めている。震災10年の節目に「大震災を知らない子どもが増えている。災害時に自分の命を守れる力を育てたい」と決意を新たにする。

 地震が発生した2011年3月11日の昼すぎ、長期休業中のため普段より人けの少ない大学の食堂で友人といた。午後2時46分。気象庁の緊急地震速報を受けて携帯電話が一斉に鳴り響き、ほぼ同時に激しい揺れに襲われた。震度6弱。「何が起こったのか理解できなかった。テーブルの下にはって入るのが精いっぱいで、地面が割れるのかと思った」と当時の恐怖を振り返る。

 大学には居続けられず、避難所になっていた小学校の体育館を目指した。一緒にいた3人と3時間以上かけてたどり着いた場所はごった返し、わずかなスペースで座るのがやっとだった。余震が途絶えず体は休まらない。12日未明に友人の家族が使っていない家に身を寄せることにした。

 約1週間の避難生活は不自由を極め、備えと支え合いの大切さが身に染みた。電気、水道、ガスは使えず、携帯電話のバッテリーは12日朝に切れた。連日手分けして食料を求めたが、どの店も長い列。2時間並んで小さなチョコレート5個という日もあった。断水はしばらく続き、水洗トイレのタンクには購入した飲料水や給水車で配られた水を節約しながら使った。

 「一人で避難生活を送っていたら恐怖と不安で押しつぶされていたと思う。苦しかったけど、仲間と助け合えたから頑張れた」。周りにも気を配れるようになった翌年から、大学のアカペラサークルの仲間とイベントや仮設住宅などを巡り、歌で被災地に元気を届ける活動を続けた。

 卒業後は美波町で臨時教員などを続けながら教員試験を受け、17年度に合格した。初任地の富岡小では、防災教育に力を入れる。

 大切にするのは、災害を「自分事」として考えること。東日本大震災では多くの子どもが犠牲となった。県南部は南海トラフ巨大地震で大きな津波被害が想定されており、総合的学習の授業を使って実際の津波の映像や避難生活の写真を見せ、大災害を身近に感じられるよう体験談を交えて教える。

 3年生の担任になった本年度は、非常用持ち出し袋作りに取り組んだ。避難生活での不便さを伝え、各家庭の持ち出し袋も参考に必要な物を考えさせた。「3年生は大震災以降に生まれた世代。経験者の一人として教訓をつなぐ思いで指導に当たった」と話す。

 現在は妊娠10カ月のため、2月初めから産休に入った。2年前に結婚した阿南市出身の奨馬さん(29)は高校時代の知り合い。久米さんの進学を境に疎遠になっていたが、震災直後に安否を心配して連絡を取り合ったのが交際のきっかけとなった。「わが子にも震災の経験を伝えていきます」。もうすぐ母になるのを前に、新たな覚悟も宿る。