高田豊輝さんが作った蒅

蒅のルーツなど阿波藍の歴史について書かれた「阿波藍沿革史」

 NHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」にも登場する藍染の原料「蒅」(すくも)の漢字が、徳島発祥であることが分かった。根拠は81年前の1940(昭和15)年に小松島の藍商西野嘉右衛門が著した「阿波藍沿革史」。取材をもとに日本語と歴史の専門家が検証し、方言漢字であることが確認された。

 検証したのは、国字研究の第一人者笹原宏之早稲田大教授、日本語研究者の仙波光明徳島大名誉教授、根津寿夫徳島城博物館長、阿波藍の流通史に詳しい泉康弘さん、郷土史家高田豊輝さん、県立博物館民俗担当学芸員の庄武憲子さん。

 沿革史で取り上げられた蜂須賀家文書の藍方御用場創設時の通達文には「葉藍並びにすくもは他国に積み出してはいけない」(1733年)と書かれており、泉さんによると、平仮名の「すくも」の初見でないかという。

 これを受けて庄武さんが蒅が江戸時代当時、全国でどう呼ばれていたかを調査。「藍玉」「ねせ藍」「モミ藍」と呼ばれ、史料からは1733年まで「すくも」と呼ばれている例がないことを裏付けた。

 庄武さんによると、漢字の「蒅」の初見は、沿革史の中の古老の談「阿波藍考證(こうしょう)」(1800年代初め)からの引用文「蒅といえる名は阿波国の方言にして...蒅なる新字...普(あまね)く世に通ずる」。阿波藍考證には著者名は記されていないが、他の史料などから蒅の製法を改良した功労者として著名な板野の犬伏久助と分かるという。

 これらから、蒅の漢字の誕生した時期が1733年から1800年代初めごろまでと推定できる。1760年代に阿波藍はブランド化し、10代藩主蜂須賀重喜(しげよし)が藍の市を開こうとするなど藍産業が盛り上がっていた。根津さんも「蒅の文字誕生の機運が高まっていた時期ではないか」と話す。

 一方、漢和辞典「大字典」(1917年)では、蒅を日本でできた国字としている。徳島の方言とした辞典もある。研究者がよく利用する「日本国語大辞典全13巻」「日本方言大辞典」(ともに小学館)などで「郷土史研究阿波の言葉」(橋本亀一著、1930年)を根拠としている。

 約40年前から自宅で藍栽培と藍染をしている高田さんは、実体験から方言としての蒅を実感している。愛媛と広島から来た人に通じず「今でも県外の人は蒅を藍玉と呼ぶことが多い」と話す。

 仙波さんは「『すくも』は泥炭やもみ殻の意味もあり、蒅はそれを転用したのかもしれない。染料の蒅が徳島以外で知られていなかったのなら漢字も徳島で生まれたとするのが妥当。儒学者や役人が権威付けのために考え、殿様が認めたのだと思う」と語った。

 沿革史は、最後に「この字(蒅)のことを誰が阿波で創作されたと思うだろうか。阿波藍の盛大さを物語る一級資料」との内容で結んでいる。

 これらの検証を受け、笹原さんは「蒅は徳島での使用が早かったことが分かる。徳島でできた方言漢字と実証できた」と話した。