知っているということと、感じるということは全くの別物だ。甘い恋の歌は、時に力強い反戦歌となる。そうしたことがままあると、知ってはいても、すっと体に詞が染み込んでいく感覚を味わったのは、いつ以来だろう

 青い8月の空に放ったあのメロディー…。大阪でのライブの中盤、福山雅治さんが歌い始めた。ああそういうことなんだ、と分かったような気がした。とげとげしい物言いが幅を利かす昨今、ラブソングの優しい言葉が心に響いた

 「あの夏も 海も 空も」。歌詞は2人の恋の思い出に終始して、戦争のかけらも出てこない。なのになぜ、と考えるまでもない。福山さんは長崎市の出身。被爆2世だと自ら明かし、原爆被害に耐えたクスノキをテーマにした曲も書いている

 言葉は生き物だ。いつ、誰が、どこで発するかで、意味を変える。福山さんが口にする「夏」。当たり前の日々は、本当は当たり前なんかじゃない

 1945年8月9日。閃光と炎の中で、アジア・太平洋の戦地で、2人の恋が永遠に時を止めた夏でもあった。歌はこんな詞で終わる。<いつまでも忘れないよ>

 ギターを弾く若者が減り破綻した米老舗楽器メーカー・ギブソンのレスポールがライブの随所で輝いていた。その表現力は絶大だ。ギブソン党の1人として、最後にお伝えしておきたい。