笹原宏之さん

 藍産業が盛んだった江戸時代に徳島で生まれた方言漢字と分かった「蒅(すくも)」。国字研究の第一人者で早稲田大教授の笹原宏之さんは「蒅は徳島の産業と誇りを象徴している。地域の文化と歴史を実証的に伝える字だ」と強調。文字文化の多様性を残すためにも、蒅のような方言漢字の研究や伝承が必要だと訴えた。

 蒅は、漢字二つ以上を組み合わせてできた会意文字だという。藍の葉を熟成させた染料を意味する。「この一文字には、徳島の代表的な染め物という自信が込められていると感じる。地元の『すくも』を正面からシンプルに表現しており、イメージにぴったりの会意文字だ」

 漢字はもともと、ある地域だけで独自に使われていても、徐々に使用者を増やし、やがては共通漢字へと移る可能性を秘めている。「蒅はその典型例だ」と笹原さん。

 方言漢字は、笹原さんが先人の研究を踏まえて1980年代に提唱した用語。全国に残る地名や方言を調査研究する中で浮かんだという。言葉に方言があるように、漢字にも「地域漢字」や「地域音訓」がある。「それぞれの土地に住む人々が、独自の自然、習俗、言葉に合わせて工夫を加え育んだ個性豊かな漢字は、地域の文化や歴史を知る手掛かりにもなる」

 蒅の歴史をたどると、徳島で生まれる機運があったことが分かる。

 蒅の製造起源は少なくとも1487年にさかのぼり、1700年代初めに全国有数の品質を誇るようになった。33年に平仮名「すくも」が史料に登場し、製造の改良を経てブランド化した。11代徳島藩主蜂須賀治昭は1804年、阿波藍の大市を開いた。

 笹原さんは「文書などの文献調査がさらに進展すれば、蒅の漢字の誕生時期がはっきりするだろう」と関係者に期待を寄せる。

 一方、方言漢字は全国の都道府県に数文字から数十文字はあるそうだ。吉野川市に残る「麻植(おえ)」も徳島独特の読み方をする漢字で、地域の文化や産業を反映している。

 「麻植などの文字は、徳島の人が古代から中国の漢字を導入する中で、徳島独自の用法や読み方をしたと考えられる」

 笹原さんは、日本語研究者として伝統文化が各地で無くなりつつある実情を危惧し、こう結んだ。

 「社会の活力は多様性があってこそ生まれると思う。蒅のような文字文化を大切にし、新たな調査がそれぞれの地域で進むことを期待したい」。

 ささはら・ひろゆき 1965年、東京生まれ。早稲田大で中国語学、同大学院で日本語学を専攻した。古代文字からギャル文字まで研究。国立国語研究所の主任研究官などを歴任し、法務省の人名用漢字、文科省の常用漢字の改正に携わった。著書に「日本の漢字」(岩波新書)「国字の位相と展開」(三省堂)など。