紙吹雪が舞う商店街を通過する聖火ランナー=阿南市富岡町 1964年9月18日

 日本で初めて聖火リレーが実施されたのは、東京五輪が開かれた1964年だった。9月7日、米国統治下だった沖縄をスタートし、本土では四つのコースに分かれて全都道府県を巡回。10月10日の開会式で東京・国立競技場の聖火台に点火された。

 徳島にやってきたのは、宮崎県を出発し、中四国や東海地方を経由する第2コース(1826・1キロ)の聖火。9月17日に徳島入りし、宍喰町(現海陽町)の県境で高知県の最終走者から聖火を引き継いだ若者らが、3日間かけて国道沿いの全105区間(148・4キロ)を駆け抜けた。

 17日は宍喰町の高知県境から牟岐駅までの16区間25・1キロを、18日は牟岐駅から徳島県庁までの62区間85・5キロをリレー。予備日の19日を挟んで20日は県庁から鳴門市北灘町の香川県境まで27区間37・8キロを走った。聖火をひと目見ようと集まった群衆が沿道にひしめき、日の丸の小旗を振るなどして声援を送ったという。

 走者に選ばれたのは中学生から20歳まで若者ばかり2415人。1区間の編成を、トーチを持つ正走者1人と副走者2人、随走者20人の計23人としたため、大規模に膨れあがった。

 注目ランナーは、同年春の選抜高校野球大会で初出場初優勝を果たした海南高(現海部高)のエース尾崎正司(後に将司に改名)ら海南ナイン。当時の本紙には「甲子園のヒーロー海南高投手、尾崎正司君(十七)が〝登板〟すると、沿道を埋めた約2千人の町民はどっとどよめいた」と記述され、当時の熱狂ぶりがうかがえる。このほか陸上やレスリング、競泳など県を代表するアスリートらが参加し、リレーを盛り上げた。

 72年の札幌冬季五輪では徳島で聖火を見ることはかなわなかったが、98年の長野冬季五輪では全都道府県の巡回が復活。同年1月11日、推薦や公募で選ばれた聖火ランナーと伴走者計72人が雨の中、徳島市の大松小学校から蔵本運動公園までの12区間(10・3キロ)を駆けた。