「医者は病人を治し、研究者は病気を治す。誰も治せなかった病気を治すのが夢だ」。病気の原因を分子から解き明かす分子生物学分野の研究者であり、今年4月からは京都大大学院生命科学研究科長に就いた。

 子どもの頃の夢は医師になることだった。教諭の母が転任した木屋平村(現美馬市)の小学校に通っていた時、重い肺炎にかかった。なかなか治らず、徳島市内の病院で抗生剤を投与されると劇的に回復。これを機に医師が憧れの職業になった。しかし金沢大医学部で学ぶうち、医師でも治せない病気が多い現実に直面する。研究者へと進路を変え、最先端の分子生物学を専攻した。

 飛躍の契機となったのは1989年の米国研究所への留学だった。国内最高峰の研究所に所属し実績を積んでいたが、前例踏襲を重視する日本の手法は通じず、新たな研究、発想の転換が求められた。「他の研究者と異なるテーマなら何をしてもいいという『自由』に困り果てた。それでも1年もたてばついて行けるようになったね」

 パーキンソン病やアルツハイマー病といった神経変性疾患、がんなどの病をテーマに研究を続ける。今年7月には体内の化合物アデノシン三リン酸を調整することでパーキンソン病の進行が抑制されるとの研究成果を発表し、注目を集めている。「臨床試験が始まっている研究もあり、今は病気を治す夢の途中。研究者として医療に貢献したい」と力を込める。

 研究や大学院のマネジメントに加え、京大ゴルフ部の部長も務める。実家の母を大阪に呼び寄せて以来、法事に帰省する程度で徳島への足は遠のいた。それでも「学生時代は阿波踊りを楽しんだし、毎年スダチを送ってくれる友人もいる。古里との縁は切っても切れないですね」と目を細めた。

 かきづか・あきら 徳島市出身。城南高、金沢大を経て京都大大学院医学研究科博士課程修了。1988年に京都大医学部助手、89年、米ソーク生物学研究所へ留学。97年に大阪バイオサイエンス研究所研究部長、2001年から京都大大学院教授。大阪府高槻市在住、58歳。