人が暮らし、利活用する建物が集まって町ができる。建築デザインから都市計画まで手掛ける日本有数の総合組織型設計会社・久米設計(本社東京)の大阪支社長に就き7年になる。所管地域は近畿2府4県と山口県を除く中四国各県。「今も徳島県内の案件が進行中。これからも積極的に徳島で仕事がしたいですね」とほほ笑む。
大学卒業後、東京都内に事務所を置く別の設計事務所で働いた。順調に仕事を進めていた37歳の時に転機が訪れる。1995年1月、阪神大震災が起こり、知り合いだった当時の久米設計大阪支社長から「関西は大変なことになっている。うちで働かないか」と声を掛けられた。古里に残した母のことも気がかりで、転職を決意し大阪へ移った。
同社は行政庁舎や美術館、商業施設などの大規模施設を得意としており、移った直後から大型プロジェクトを手掛けた。2000年頃、板野町のあすたむらんど内の子ども科学館や高松市の香川県立医療短期大学(現香川県立保健医療大学)などの案件を並行して仕上げた。「岡山の現場を見て列車に乗り、高松に立ち寄って板野へ向かった。なじみの場所を巡る仕事は感慨深かった」と振り返る。
設計で重視しているのが利用者のニーズだ。「設計者は自分の考えを押しつけがちだが、建築は都市や社会を形成する部品の一つということを忘れてはならない。施主や利用者の思いをくみ取り、地域の歴史や気候、風土も考慮することが大切だ」と力を込める。管理職となった現在でも揺るがない信念だ。
古里へは毎月のように戻り、高齢となった母を見舞い、友人らと過ごす。「子どもの頃からの友人と阿波弁で話すひとときは落ち着きますね」と笑顔を浮かべた。
こにし・たけふみ 小松島市出身。徳島大教育学部付属中(現鳴教大付属中)、城南高を経て早稲田大理工学部建築学科卒。1995年、久米設計入社。2010年から大阪支社長、17年から常務執行役員。1級建築士。大阪府箕面市在住、60歳。