「放火の疑いがあると知り、京アニ事件が頭をよぎった」。3月14日に徳島市仲之町にある4階建ての雑居ビルで起きた放火事件について、近くで店を営む女性(46)は発生当時の心境をそう振り返る。「京アニ事件」とは、2019年7月、京都市にあった3階建てビルの1階にガソリンがまかれて放火され、京都アニメーションの社員36人が亡くなった放火殺人事件のこと。徳島市の事件でもガソリンが使われ、放火当時は4階のライブ会場に約70人の客がいた。女性だけでなく、多くの近隣住民が2年前の大惨事を想起し、不安を募らせた。

放火事件のあった雑居ビル=3月14日、徳島市仲之町

 事件発生から10日後、徳島県警は現住建造物等放火などの疑いで牟岐町の無職の男(38)を逮捕。調べに対して男は「京アニ事件をまねた」という趣旨の供述をしている。男は約15リットルもの多量のガソリンをまいて火を放ったとみられているものの、燃えたのは3階のエレベーターホール(床面積18平方メートル)内にとどまり、ビルの外側にあった非常階段で迅速に避難したライブ客にけが人はいなかった。一歩間違えば大惨事になる危険もあったが、なぜ被害は最小限にとどまったのか。専門家への取材から、建物の防火構造の点で京アニ事件との違いが浮かび上がった。

京アニのスタジオになかった「竪穴区画」

 京アニ事件は19年7月18日午前10時半ごろ、京都市伏見区にある京都アニメーションのスタジオで発生した。殺人や現住建造物等放火の疑いで京都府警に逮捕され、後に起訴された男=当時(41)=が、ビル1階にガソリンをまいてライターで放火。3階建て約690平方メートルを全焼し、ビル内にいた約70人のうち36人が死亡した。平成以降で最悪の犠牲者が出た放火殺人事件となった。

放火事件で大勢の従業員らが犠牲となった「京都アニメーション」の第1スタジオ=2019年7月18日、京都市伏見区(共同通信社ヘリから)

 男は現場にガソリン約40リットルを持ち込み、4分の1ほどを床にまいたとされる。ガソリンがまかれたのは3階まで吹き抜けになったらせん階段のすぐ下とみられ、ライターで火を付けた後、短時間でビル全体に濃い煙が充満。2階以上で仕事をしていた人の多くが逃げ遅れ、命を落とした。らせん階段の吹き抜けが「煙突」のような役割を果たして高温の煙を一瞬で建物全体に充満させたほか、別の折り返し階段を煙で満たしたため、建物内にいた人が避難するすべはなかった。

 「京アニ事件で被害が大きくなった要因は二つ。一つは、ガソリンを床にまいたこと。もう一つは、竪穴区画がなかったことだ」。公益財団法人・市民防災研究所(東京)の坂口隆夫理事は、そう指摘する。「竪穴区画」とは防火区画の一種で、火災時に煙や熱気を上階に広がらないようにするための構造のことだ。建築基準法では、3階以上に居室のあるビルのうち、一定の条件を満たすビルは階段や吹き抜け、エレベーターなどの「竪穴」を煙や炎を防ぐ構造にしなければならないと定められている。竪穴区画は床や壁などが準耐火構造となっているほか、開口部には煙を遮る防火設備(防火扉など)が設置されている。火災が発生しても竪穴区画には煙や炎は入らず、火の広がりを防ぐ効果がある。

 京アニのスタジオにはらせん階段と折り返し階段が「竪穴」として存在していたが、建築基準法上、竪穴区画が必要とされない建物だった。そのため、竪穴が防火帯として区画されていなかった。結果、吹き抜けのらせん階段が煙を一気に上階へ運んだほか、区画されていない折り返し階段にも煙が充満し、避難路として機能しなかった。坂口理事は「京アニのスタジオに竪穴区画があれば、2、3階にいた人は助かったかもしれない」と話す。

エレベーターホールへの放火が延焼防ぐ

 徳島市の放火事件で、ガソリンがまかれて火を付けられたのは、ビル3階のエレベーターホールだった。市消防局によると、ビルは準防火地域に立地する4階建てで、建築基準法上、竪穴区画を設けなければならない。エレベーターホールは建築基準法で定められた竪穴区画に当たり、1階から4階まで続く階段の踊り場でもあって床や壁などはコンクリート製。3階の店舗への入り口も扉などで隔てられており、密閉された空間だった。可燃物もほとんど置かれていなかったとみられる。逮捕された男が模倣したとされる京アニ事件と決定的に違ったのは、火や煙に強い竪穴区画に放火されたという点だった。

 

 坂口理事は、店舗や他の階まで延焼せずに約20分で鎮火したのは、床や壁などが火に強い材質だったことや、竪穴(エレベーターホール)が店舗などと壁や扉で隔てられていたことが大きいと指摘。「竪穴区画は火災の際に生死を分ける重要な部分。徳島市の放火事件では扉などがあったので、炎と煙を防ぐことができたのではないか。放火場所がライブ会場なら、もっと大きな被害が出たはずだ」と語った。

 徳島市の放火事件では火災発生後、4階にいた約70人が屋外の非常階段を使って迅速に避難した。京アニ事件や、44人が亡くなった2001年の東京・新宿歌舞伎町ビル火災では、いずれも階段に煙が充満して避難路として活用できなかった。避難路が確保できていたことも、大きな被害を出さずに済んだ主な要因だった。専門家の1人は「京アニ事件の教訓は、階段を吹き抜けにする際は屋外階段を設置するなど、利便性や意匠性、経済性と避難計画のバランスを取ることが重要ということ。今回の徳島市の放火事件は、そうした教訓の有効性を示す事例だと思う」と強調した。

ガソリンに放火された後、ライブ客ら約70人が避難した屋外の非常階段=徳島市仲之町