津波を想定した率先避難訓練。避難行動を取る参加者自身が周囲にも避難を呼び掛ける=2020年11月、小松島市金磯町の鉄鋼団地

 「地震が来ます」。防災無線が突然そう告げた。4年ほど前のある日、自営業の男性(45)は小松島市内を1人で運転していた。「え、どうしよう」。怖くなった。しかし、そのまま運転した。逃げなかった。

 男性は振り返る。「周りに車も歩行者もいなかった。逃げている車や人を見たら、たぶん自分も逃げたと思う。あるいは誰かに『逃げよう』と言われていたら」。無線放送は訓練だったと後から知った。

 近代社会は人々に「主体的判断をする理性的な存在であれ」と求める。けれど現実には周囲に流されることも少なくない。他人の行動を参考に自分の振る舞いを決める心の働きは「同調性バイアス」と呼ばれる。どんな特性があるのか。

 広瀬弘忠東京女子大名誉教授(災害心理学)が説明する。

 「人間は社会的動物。社会的集団をつくって暮らし、一人一人がアンテナの役割を果たしている」。災害時には、これがプラスにもマイナスにも働き得る。「『逃げよう』という誰かの声で正常性バイアスの落とし穴から逃れ、避難を始める他者への同調もある。一方、皆が動かないから大丈夫だろうと周囲と同じ行動を取る危険な同調も」

 

逃げない人は「逃げる」と決めていないだけ

 「率先避難者たれ」―。岩手県釜石市で防災教育に携わり、東日本大震災で大勢の避難につなげた片田敏孝東京大特任教授(災害社会工学)は、津波避難の原則の一つにこの言葉を掲げる。自分が避難することで、それを見た他の人に避難を促す。「同調性バイアス」をプラスに生かす試みだ。

 片田氏は言う。「逃げない人は『逃げない』と意思決定しているわけでなく、『逃げる』と決めてないだけ。迷いの渕(ふち)にある。だから誰かが誘導すればいい」

 小松島市の金磯港近くの企業団地に社屋を構える誠建設は2011年末、全国で初めて「率先避難企業宣言」をした。

 中野寿之社長(57)は東日本大震災の被災地に赴いた際、職場を放棄していいのか戸惑って逃げ遅れた従業員がいたと知る。「南海トラフ巨大地震から自分たちをどう守るかを考えさせられた」。片田氏と知り合いになり、率先避難で地域を守ろうと思い立った。

 毎秋、誠建設を含む県鉄鋼協同組合の加盟社従業員が率先避難訓練をしている。「津波が来るぞ」「早く逃げろ」。そう呼び掛けながら住宅地を走り抜け、避難場所の金磯南ポンプ場屋上へと駆け上がる。

 

「意識が低い」わけじゃない

 どうして「率先避難」という考えが出てきたのか。片田氏に尋ねると、自身の研究歴に話が及んだ。片田氏はかつて過疎問題を研究し、山の中で多くのお年寄りと話をしてきた。過疎は社会問題だと認識されているのに、当のお年寄りは幸せに暮らしている。「合理性だけでは語れない、その人なりの理由でそこに住んでいる」と分かった。

 防災でもそれは同じだ、と考えた。「逃げない人を『意識が低い』と断じてきたが、そうじゃない。人間はそもそも、そういうものではないのか、と。大事なのは、そんな人間でも逃げられるようにすること」。たどり着いた結論の一つが「率先避難」だった。

 東日本大震災後、被災地の住民約1万1千人に内閣府が実施した調査では、避難のきっかけ(複数回答)として、27・0%が「周囲からの避難の呼び掛け」、21・9%が「家族が避難しようと言った」、16・8%が「避難している人を見た」を挙げている。

 あなたの避難も、他の誰かを救うかもしれない。