蜂須賀家政が築いた徳島城跡。現在も石垣や堀が残る=徳島市徳島町

 徳島県は古くは「阿波」と呼ばれた。ではいつ頃から「徳島」という呼び方をされるようになり、何に由来するのだろう。歴史書をひもとけば、戦国時代末期の1585年、阿波に入国した蜂須賀氏が現在の徳島中央公園(徳島市)に城を築き、周辺の地名を「徳島」と定めたのがその始まりとされる。

 四国攻略の功により、豊臣秀吉から阿波国の統治を任された蜂須賀家政(小六正勝の嫡男)はまず、一宮城(同市一宮町)に入った。しかしこの山城では領国経営に不便だと考えた家政は、海に開けた吉野川河口デルタ(中州)に位置し、「渭津(いのつ)」と呼ばれた場所に着目。ここに新たに城を築き、町を開くことを決めた。

 そしてこの地が、助任川や寺島川などの川に囲まれた島状の地形だったため、「徳」という縁起の良い文字を入れて「徳島」と命名した。いわゆる吉祥地名だ。現在の地名でも徳島町、徳島本町、中徳島町として伝わる。

 戦国末期まで阿波の中心地は守護細川氏、守護代三好氏の城館のある勝瑞(藍住町)だった。江戸時代に政治経済の中心は「徳島」の城下町に移り、藍の生産・取引などで大いに栄えるのである。

〈2021・5・10〉