洪水時には屋根が救命ボートになる田中家住宅。自然との攻防が生んだ設計だ=石井町藍畑

 母屋の屋根はアシで葺(ふ)かれ、その軽さから水に浮くという。「吉野川があふれて屋根の近くまで水が来たら、柱と切り離して救命ボートにできる。実際に使ったことはないが」。石井町藍畑に立つ元藍商の家、田中家住宅。17代目当主の田中誠さん(73)が言う。

 阪神大震災後、詩人の佐々木幹郎が「やわらかく、壊れる」という設計思想を提唱した。「建物は壊れることを前提に。そのときの被害を最小限に」という考え方だが、それを体現しているかのようだ。

 江戸期から大正期まで、ここでは藍染の染料の蒅(すくも)が作られ、全国に出荷された。周辺は吉野川の遊水地帯で、毎年のように洪水が起きた。家は2度流され、今あるのは三つ目。江戸末期から明治中期まで約50年かけて段階的に造られた。石垣で蔵などのかさ上げをし、納屋には孤立した人を助ける船がつり下がる。

 脅威となる洪水は、同時に恩恵ももたらした。上流から運ばれる肥沃(ひよく)な土は藍をよく育てた。「阿波25万石、藍50万石」と呼ばれる徳島藩の繁栄は、吉野川流域で暮らす人々が洪水と戦う中で築かれた。戦後、堤防の整備で洪水は減り、同時に阿波藍も合成藍に押されて衰退する。「80、90代より下の人は水害への危機意識もあまりないのでは」と田中さんは言う。

 

自然を制圧できるという幻想

 自然から脅威と恩恵を共に受けながら生きてきた人間だが、近代以降は自然との付き合い方が変わる。人間は自然を制圧できる―。土木技術の発達で、そんな幻想に社会全体がとらわれていったのではないか。

 明治と昭和の三陸津波で多くの犠牲者を出した岩手県の旧田老町は、1979年に高さ約10メートル、全長約2・4キロにも及ぶ防潮堤を整備した。しかし、「万里の長城」とまで呼ばれた巨大防潮堤は、東日本大震災の津波で破壊され、再び多くの命が奪われた。「防潮堤があるから」と避難しなかった人もいたという。

 広瀬弘忠東京女子大名誉教授(災害心理学)は言う。「どんなに大きくて頑丈な構造物を造っても、自然の破壊力はそれを超えてしまう。それなのに構造物に守られている安心感から、人間の危機意識は劣化する。結果、安全が損なわれる」。安心と安全はイコールでは結ばれない。

 

地域コミュニティーに所属する意味

 自然の脅威を人々が忘れていく中で、地域コミュニティーも崩壊の道をたどった。共に助け合う基盤であった地域コミュニティーに属する意味が見いだせなくなったことが一因だろう。

 「今、所属するコミュニティーは自分が選ぶものになっている」。銀行勤務を経て徳島大で防災の研究者になった徳島大環境防災研究センターの湯浅恭史助教は、そう指摘する。

 とはいえ、今も昔も災害発生時に助け合えるのは、その場で共にいる人。「関係性が希薄化した現代、訓練偏重ではない防災の在り方が必要」と説く。そこで湯浅助教が提示するのが「バックキャスティング」という考え方。理想の未来像を描き、実現のためにいま何をすればいいかを洗い出す思考法だという。

 皆が生き残りたいと思うなら、まずは互いが知り合いになり、たまには訓練しよう、と動く。避難所運営のため、個々にどんな知識やスキルがあるかを知る。災害弱者を守るには、平時に何をすればいいかを考える。「今と将来をどうつなぐかという視点が大切」と湯浅助教は強調する。

 異常な事態が迫っていても反応が遅く、周囲に流されやすく、目の前のことに追われがちな私たち。しかし、未来を展望し、助け合えるのも人間だ。自然との関係、人との関係を、結び直したい。