「また町のイメージが悪くなる。これからどうすればいいのか」。10年以上続けてきた自分の店が焼け焦げ、経営者の徳長真二さん(50)=「爽食間グループ」社長=は頭を悩ませた。3月14日の真っ昼間、徳島市仲之町にある4階建て雑居ビルで、地元アイドルグループのライブ中に3階のエレベーターホールにガソリンがまかれ、火を付けられた。当時ビル内にいた利用客ら約70人は全員逃げて無事だったが、徳長さんの経営する別館スタジオ「NOAH(ノア)」は3階にあり、エレベーターホールの床や天井など約103平方メートルが焼けた。上下階にも煙が回り、辺り一帯がすすで真っ黒になった。後日、放火などの容疑で逮捕された牟岐町の無職の男(38)は、36人が死亡し、33人が重軽傷を負った2019年の京都アニメーション放火殺人事件を「まねた」と供述。約15リットルものガソリンをまいたことが分かった。
2階にある焼き鳥店「一鴻」を経営する庄野浩司さん(47)=「食人」社長=は事件後間もなく営業を再開したものの、店内には焦げ臭さが強く残っており、一日も早い改装を望む。事件から1カ月半が過ぎた4月末、3階ではようやく洗浄作業が始まった。男が捕まった後、「店を再開する決心がついた」という徳長さん。事件当日は、やけどを負いながらも、消防が来るまで必死に消火にあたっていた。当時を振り返ってもらい、事件から2カ月ほどたった今の心境を聞いた。
「爆発音がして煙が出ている」
徳長さんが客からそう聞いたのは、3月14日の午後1時半頃だった。この日、自身が経営する4階のアミューズメントバー「Fly(フライ)」では、地元アイドルのライブが行われていた。前日は午後11時頃まで3階にあるNOAHの片付けを行い、翌14日は午前中からFlyでマイクの調整など設営準備を進めていた。午後1時頃、ライブがスタート。「ようやく始まった」と一安心し、郵便物のチェックなどをしていた時だった。
店が入る雑居ビル内には、エレベーターの他にいくつか階段がある。受付をしていた利用客から報告を受けた徳長さんは、店を出てエレベーターホールから下の階につながる階段を降りた。階段の途中に設置された扉の隙間から、煙が勢いよく流れ出ていた。扉を開け、下をのぞくと1メートルほどの高さまで火の手が上がっているのが見えた。
エレベーター内で「ここで死んだら仕方ない」
「なんで」。前日夜遅くまで片付けをしていたので、ホールの状況はよく覚えている。フローリングにしっくいの壁で、燃えるような物はなかったはずだ。もしかしたらホールに置いていた照明から失火したのかもしれない。不審に思いつつ、目の前の火の勢いに「これは大変なことになる、ビルが一棟燃える」と感じた。急いで4階に戻り、店の奥にあるテラスから外階段を使って避難するようスタッフに指示した。
徳長さんは3階の様子を確かめようと、エレベーターに乗った。扉が開くと、真っ黒な煙が炎と共に勢いよく入り込んできた。「やばい」。慌てて1階と閉ボタンを押したが、3階で扉がもう一度開いた。煙でエレベーター内は真っ黒になり、階数の表示やボタンも見えなくなった。「ここで死んだら仕方ない」と覚悟した瞬間だった。エレベーターが動かなかったら炎の中を突き抜けて奥の階段から降りるしかないなどと考えていると、扉が開き光が見えた。
1人で水を運び煙を吸いながら消火活動
1階に着いたエレベーターから出ると、目の前にいた男性に火事かと尋ねられた。徳長さんは「かなりまずい。すぐに救急車と消防車を呼んで」と伝えると、エレベーター横の階段から2階に上がった。2階にある一鴻では開店準備のため、従業員が店を開けていた。2階にあった消火器を手にとると、階段途中の扉2枚を開けて、3階まで駆け上がった。火消しを図るも、消火器は使い物にならない。再び2階に戻ると、一鴻の調理場から直径30センチほどある調理器具のボウルを借り、水を入れて3階に上がった。煙で辺りの様子は全く見えなかったが、オレンジ色に燃えている炎の方向をめがけて水をまいた。当然、火は消えない。3杯目の水をかけた時に、消防車のサイレンの音が聞こえた。
「その時は当然、放火とは思っていなくて、漏電か何かだと考えていた。どうにか被害を最小限に抑えようと必死だった」と徳長さんは振り返る。5杯目の水を掛けた時、火が小さくなったように見えた。6杯目を持って上がる途中、消防が到着した。「火が消えているかもしれない」と状況を伝え、消防隊員が放水を開始して間もなく「鎮火」という声が聞こえてきた。
「これで安心だ」。1階に降りると、警察に腕をつかまれ、すぐ救急車に乗るよう指示された。徳長さんは煙で全身真っ黒だった。「すぐ戻るから少し待ってほしい」。ビル内に置いたままの貴重品や荷物などを整理し、1階に戻った。周囲を見渡すと、コロナ下で人通りが減っているにも関わらず、警察や消防、見物客らであふれていた。知り合いに声をかけられながら救急車に乗り、病院に搬送された。車内からは一鴻を経営する庄野浩司さんに「申し訳ない。消火活動したから、店がだめになっているかもしれない」と謝りの電話を入れた。
煙を吸い込んだため、のどなどの器官にやけどを負った。「今Flyはどうなっているのか。明日からどうしようか」。病院で治療を受けながら考えていると、午後8時頃に警察がやってきた。「ガソリンを携行缶に入れて用意してましたか」「包丁は?」。いろいろと話を聞かれるうちに、なにかおかしいと感じた。どういうことか尋ねると、「実はガソリンがまかれていた」と知らされた。その日は入院するよう病院側から告げられていたが、放火の疑いがあると聞き、いてもたってもいられず、警察とともに現場に戻った。
店の前に”不審なゴミ” 従業員が発見
2階に店を構える庄野さんは、事件が起きた14日、用事があり県外に出ていた。店で開店準備をしていた従業員から電話があったのは、午後1時半ごろ。「店の前にゴミが捨てられている」。階段の踊り場に置いてあるベンチのそばに半透明のゴミ袋が1つと、階段にフリーペーパーが並べられているという。庄野さんは不法投棄として役所に通報するため、ゴミ袋の中身まで写真を撮っておくよう従業員に指示した。従業員から送られてきた写真には、個人の名前や住所が記載された書類などが写っていた。
「犯人に違いない」 ゴミを持って警察に
徳長さんは事件翌日の15日から毎朝、警察の現場検証に立ち会っていた。庄野さんが16日に県外から戻り、徳長さんは17日、庄野さんの所まで謝りに行った。その際、庄野さんから、当日店の前にゴミが捨てられていて不審人物がいた形跡があると聞かされた。「それだ。そいつが犯人に違いない」。たまたま業者のゴミ収集がまだだったため、店にあったゴミ袋からを個人名などが書いてあるものをいくつか取り出し、徳長さんは警察に持って行った。警察が「他にもまだあるはず」と店に残っていた他のゴミをチェックすると、ガソリン携行缶の取扱説明書が出てきた。
放火疑いで男逮捕 町のイメージ悪化?
牟岐町に住む無職の男(38)が現住建造物等放火の疑いなどで逮捕されたのは、それから1週間後のことだった。24日、徳長さんは娘が県外の大学に進学するため、車で下宿先に荷物を運んでいた。「犯人が捕まったみたい」とビルの大家から電話を受け、逮捕を知った。
男が捕まり「自分やフライに因縁があるのが一番怖かったが、知り合いでもなかったし、全く関係なかった。『”京アニ”をまねしてやった』という動機がはっきり分かってよかった」と一安心すると同時に、頭に浮かんだのは「これからどうして行くべきなのか」ということだった。徳長さんが飲食業に就いたのは、18歳の時。徳長さんの店は徳島市内の繁華街にあり、街を活気づけようと阿波踊り演舞場誘致や花火大会など数々のイベントを実施してきた。「この仕事が長いから、庄野くんたちと一緒にいろんな町おこしをやってきた。町をどうにかしたいという気持ちが強かった」と振り返る。「コロナ下で夜の店が悪いように捉えられて人出が減っている中で、今回のライブも中止にすべきかどうか相談していた。『お昼だし、対策を徹底してできる範囲でやったらいいんじゃないか』と決めて開催したらこれ(放火)だから、また繁華街のイメージが悪くなるじゃないかって」と悔しさをにじませる。
自分だけでなく、地域を盛り上げようと頑張ってきた街の人たちにも迷惑が掛かっている。徳長さんは「普通は謝罪に来るのが筋だが、それが一切ない。街にも迷惑かかってるのに」と憤る。事件当日、現場で煙を吸い込み、気道熱傷になった。「1カ月以上たつけど、やっぱりのどや肺の辺りがおかしい」。今でものどが痛み、大きな声を出すと咳き込んでしまうという。「けがもして病院行ったり警察行ったり、迷惑かけられてるからね。やっぱり謝罪はしてほしいと思っている」と漏らす。「自分を含めてみんなもものすごく迷惑掛けられてるわけだから。どうするんだってやっぱり言いたい」。
今も残るオイルっぽい臭い 4月末ようやく復旧に着手
今後どうするのかという質問に、徳長さんは「コロナで”ジリ貧”しながら悪くなってるじゃないですか。これ(放火)でどーんと悪くなったから、これ以上悪くなることはないんでね。店をきれいにして営業を再開したいなって決心ついたなって」と吹っ切れたように答えた。
19年前に4階にFlyをオープンさせ、その5年後、別館としてNOAHを開店。アミューズメントバーとして気軽に飲んで楽しめる場を提供し、結婚式2次会や学生の卒業イベントなども数多く手掛けてきた。事件後、徳長さんの元には心配や励ましのメッセージが何百件も届いた。
2階の一鴻は、事件から5日後の19日に営業を再開した。2階と3階をつなぐ階段はすすで黒く、上から臭いが降りてくる。「オイルっぽいしつこい臭い。店の奥の席でも『くさい』と言われることがある」と話す庄野さん。3階を改修しないと、自身の店にも手を付けられない。「早く改装したい」と望んだ。
4月30日、警察からの許可が出て、ようやくNOAHの洗浄作業が始まった。スムーズに解体作業が進んでも、改修が終わるまでには2カ月ほどかかるという。すすだらけだった4階のFlyは、事件翌日から従業員と一緒に必死で掃除した。団体予約が入っていたため、事情を説明した上でそれでも利用したいという客のために何日かは営業したが、徳島県からの営業時間短縮要請を受け、現在は休業中だ。徳長さんは「今は緊急事態宣言や時短要請が出ているけど、これが終わったら、また一から頑張ろうか」と前を向いた。