徳島藩主・蜂須賀氏の居城だった徳島城。正門に当たる「鷲の門」は空襲で焼失し、1989年に復元された=徳島市

 江戸時代、現在の徳島県に当たる阿波の国を領有したのが、徳島藩主・蜂須賀氏だ。今回は「阿波国」「徳島藩」「蜂須賀氏」といった言葉の使い分けについて書きたい。

 たまに「阿波藩」という表現を見かける。大正時代刊行の『阿波藩民政資料』という有名な史料集もある。ただ俗称としてはあっても、現在の歴史研究では使われない呼び方だ。

 古く、律令制で全国に「阿波」「美濃」「出雲」など66カ国が置かれた。時代は下って江戸時代には全国に約300の藩があり、蜂須賀家が領有支配する「徳島藩」もそうした諸藩の一つであった。

 ここでポイントとなるのが、徳島藩は阿波、淡路の2国で成り立っていたという点。つまり、阿波藩という捉え方では「淡路」が抜け落ちてしまう。阿波はあくまで国の名称で、藩としては徳島なのである。また蜂須賀は藩主の家名であって、藩の名称ではない。「蜂須賀藩」などという呼び方は、誤用といって差し支えない。

 一方で、藩主が「阿波侯」「阿州侯」などと呼ばれることはあった。浮世絵師・東洲斎写楽の正体、斎藤十郎兵衛について、江戸時代の書物『増補浮世絵類考』に「阿波侯の能役者」と記されているのは有名な例だ。

〈2021・5・18〉