「鳴南(めいなん)市」という市がかつて、徳島県内にあった。それもわずか2カ月だけ。市民の評判芳しからず、すぐに改称されている。現在の「鳴門市」だ。一体何があったのだろうか。
鳴門とは「鳴る瀬戸」を語源とし、轟音(ごうおん)を立てて水が流れる狭い海峡を表す。つまり渦潮で有名な鳴門海峡周辺を指す、局地的な地名だった。阿波随一の名勝として知られた。鳴門の名称が初めて自治体名となったのは、1889年の町村制施行時だ。板野郡高島、三ツ石、土佐泊浦の3村が合併し「鳴門村」が発足。1940年には「鳴門町」になった。
そして戦後の1947年3月15日、撫養町、鳴門町、瀬戸町、里浦村の4町村が合併し、徳島で2番目の市が発足することに。このときの名称が問題の「鳴南市」だった。鳴南とは「鳴門の南」の意味のようである。『鳴門市史 現代編』から経緯をたどると、新市名を巡って観光都市「鳴門」と、商工業の中心「撫養」の間で調整が難航。「撫養鳴門市」とする折衷案もあったが妥協の末に鳴南市と決まった。だがあまりにも不評で、合併後初の市議会で改称を決定。5月15日に「鳴門市」に改められた。
その後、大津村や北灘村、大麻町を編入して、1967年に現在の鳴門市が形作られた。幻の“鳴南市”の記憶は封印されたままである。
〈2021・5・25〉