内輪もめはしょっちゅうあった。自民党徳島県連の長い歴史は、対立と争いの歴史と言っていいだろう。

 36年前の徳島市長選では2候補の推薦を巡り、幹部会が二つに割れ紛糾。罵声が飛び交い始めると、当時の県連会長・秋田大助元衆院議員が「けんかは波打ち際まで」と諭し、両者を推薦しないことで互いが矛を収めた。

 今の政治家はけんかの仕方を知らないということか。自民党県連が、次期衆院選で徳島1区選出の後藤田正純氏を公認しないよう党本部に申し入れた。自民県議と後藤田氏の対立は後戻りできない一線を越えてしまった感がある。

 県議会の最大会派・県議会自民党が求める後藤田氏の非公認について協議した5月9日の県連常任総務会。県議の批判の矛先は、後藤田氏が発信するフェイスブック(FB)の内容に向かった。

 「私たちを無能、猿山の群れと侮辱するのは何でですか」「(自民県議は)何もやっていないと言う。すごい憤りを感じる」

 後藤田氏の言動は過激で、時として強烈な「毒」を含む。新型コロナウイルスへの県議会の対応にも容赦ない。

 「コロナ失政隠し、なれ合い県政隠し 県民を目くらまし県議会の姑息。コロナ対応について、県政のなれ合いに県民が怒っている事にまだ気付いていないのか」(後藤田氏のFB)

 こんな言葉を浴びせられると、誰しも怒るだろう。自民県議が「同志として決して認められない」という気持ちになるのも分かる。

 ただ「毒」はきついが、核心を突いている部分もある。「自民県議と飯泉嘉門知事はなれ合い関係」との指摘に、どれほどの反論ができようか。

 後藤田氏は、新型コロナウイルス変異株の県内初確認の県発表が国から連絡があって10日もたっていたことを、いち早くFBで指摘している。「後藤田氏くらいしか知事や県議会に声を上げる人はいない」とみる向きがあるのも確かだ。

 両者が抜き差しならない関係に陥った原因をたどれば、飯泉知事と後藤田氏の対立に行き着く。

 二人の確執は長いが、表面化したのは一昨年の知事選。自民県連は飯泉知事の推薦を決めたが、後藤田氏は飯泉知事の多選を批判し対抗馬を支援した。それ以降、後藤田氏の知事批判はエスカレートし、知事与党の自民県議との関係も悪化していった。今や「自民県議・飯泉知事vs後藤田氏」の構図が出来上がっている。

 今回、自民県議が後藤田氏を公認から外そうとした背景には、衆院選徳島1区に飯泉知事を擁立し、後藤田氏にぶつけたいとの思惑が透ける。

 昨年秋には県連幹部の県議が、飯泉知事が1区から出馬した場合の後藤田氏への対応や、比例四国から1区への転向を模索する福山守衆院議員の処遇について党幹部に相談したもようだ。4月3日に県連幹事長の嘉見博之県議が「希望としては(飯泉知事に)徳島1区から出てほしい」と発言したのも、この流れの一環とみられる。当然、知事も了解してのことだろう。

 小選挙区で7回連続当選している現職の後藤田氏が公認を得るのが常道だ。それでも自民県議が今回の行動に出たのは、後藤田氏を支援できないことを党本部にアピールし、あわよくば飯泉知事と後藤田氏を無所属同士で戦わせたいと考えてのことではないか。

 後藤田氏は2003年の知事選で当時県部長だった飯泉知事の擁立を強く推し、09年に自身が県連会長に就いた時には右腕として幹事長に嘉見氏を起用した。それが今は敵対関係にある。「昨日の友は今日の敵」とはいえ、政治の世界はこれほど非情なものなのか。

 行き着くところまで来てしまい、もはや修復不可能な状況だ。そこから浮かび上がるのは、冒頭の秋田氏のような「いさめ役」「行司役」がおらず、節度も寛大さも消えてしまった県連の姿である。