東京五輪・パラリンピック開催の可否に関わる重い指摘である。政府は正面から受け止めるべきだ。

 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長が「今の状況でやるのは普通はない」との見解を示した。「やるのであれば、開催規模をできるだけ小さくし、管理体制をできるだけ強化するのが主催者の義務だ」とも述べた。

 尾身氏がこうした指摘に至ったのは、専門家として五輪開催に危機感を抱いているからにほかならない。「開催ありき」の姿勢で臨む政府や東京都、大会組織委員会への諫言(かんげん)といえる。

 菅義偉首相は「感染対策をしっかりして安全安心の大会にしたい」と繰り返すが、何をもって「安全安心」なのか、納得のいく説明はなされていない。パンデミック(世界的大流行)下で開催する意義も説得力を持って伝わってこない。

 尾身氏が「何のために開催するのか明確なストーリーとリスクの最小化をパッケージで話さないと、一般の人は協力しようと思わない」と苦言を呈したのももっともだ。

 開幕まで50日を切っているにもかかわらず、高揚感はなく、むしろ不安が募っている。徳島県内を含む自治体で各国選手団の事前合宿や交流事業の見送りが相次ぎ、大会ボランティア8万人のうち1万人が辞退したのはその表れだろう。

 菅首相は、選手らと外部の接触を遮断する「バブル方式」を導入し、感染対策を徹底すると強調する。来日する選手と関係者は約9万人に上る。五輪のテスト大会や各種競技の国際大会で効果を上げている方式とはいえ、これだけの人数の行動を管理することは可能なのか。

 何より、行動が厳しく制限された生活環境で選手が最高のパフォーマンスを発揮できるのか、五輪本来の国際交流の場としての意義は失われてしまわないか、さまざまな疑問がわく。

 観客の有無についても結論が出ていない。政府は観客を入れる方向だが、人の移動が増え、感染拡大につながりかねない。無観客も含めて検討すべきだ。

 尾身氏は、五輪開催に関する独自の提言を表明する考えを示した。これに田村憲久厚生労働相は「自主的な研究成果の発表と受け止める」と冷ややかだ。

 政府は緊急事態宣言や感染対策を巡り意見、助言を求めるなど、尾身氏ら分科会の専門家を頼ってきた。ところが五輪の提言は意に沿わないと突き放すのか。

 不都合なことを直視せず、手痛い失敗を繰り返してきた歴史を忘れたわけではよもやあるまい。リスクに向き合わずに、開催に突き進むことは許されない。