パラリンピック出場が懸かったW杯の予選直前、拳を上げる辰己=5月13日、ハンガリー・セゲド(日本障害者カヌー協会提供)

 スノーボードでジャンプした辰己博実(43)=徳島県上板町出身=は空中でバランスを崩し、背中から雪面にたたきつけられた。「背中に電気がバーンと流れた」ようになり、次の瞬間からは、打った箇所から下を動かせず、何も感じなくなった。

 2008年3月10日、北海道倶知安町のスキー場「ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ」。後ろから滑っていた妻真紀(43)が駆け寄ると、博実は背中の痛みを訴えた。「動かない」とも言った。真紀はただ事ではないと分かった。

 近くにいた救助の係員に救急車の手配を頼んだ。「状態が良くない」と、専門の病院にドクターヘリで運ばれることになった。

 幸か不幸か、博実の意識はずっとしっかりしていた。搬送中、猛烈な痛みと格闘していた博実は、頭の中で数を数えていたという。それで痛みを忘れられるわけではないが、何もしていないととにかく痛い。「痛みに集中したくないというより、気が付いたら数字を数えている感じでした」

 病院でMRI(磁気共鳴画像装置)などの検査を次々と受け、これから手術という時に、医師が博実と真紀の元にやって来た。脊髄のどこを損傷しているのかを説明した後で、医師は告げた。「もう歩けることはありません」

 真紀は「やっぱりそうなんだ」とショックを受けた。「たぶんそうだろうと分かっていた」という博実は、事実を受け止めるしかなかった。

 博実は手術室へ運ばれ、真紀は1人で待つことになった。

 上板町に住む義母、万實(68、かずみ)に電話をした時、真紀は自分たちがどこの病院に来ているのか説明できなかった。動転していた上、陸路でなくヘリで運ばれてきたため、今いる場所を認識できていなかったのである。

 搬送されたのは、北東に100キロほど離れた美唄市の美唄労災病院(現・北海道せき損センター)だった。脊髄損傷の治療では有名な病院だと知るのは、しばらく後のことだ。

 真紀は1人でじっとしていられなくて、知人らに次々と電話をした。もう外は暗くなっていた。

 上板で電話を受けた万實は、「大変です」と話し始めた真紀の声を聞いて、事態の深刻さを悟った。「生きてるの?」。万實は恐る恐る尋ねた。

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 辰己博実が、カヌースプリントの男子カヤックシングルで東京パラリンピック代表に内定した。08年にけがを負って以来、夢舞台の切符をつかむまで懸命に漕(こ)ぎ抜いた13年の闘いを振り返った。

 たつみ・ひろみ 77年上板町生まれ。松島小―上板中―鳴門工高卒。東京都内の鉄鋼関連の会社員などを経て北海道へ移住。08年3月、スノーボード中のけがで脊髄を損傷し、車いすの生活となる。12年5月、ポーランドでのパラカヌー世界選手権に初出場し10位。今年5月、W杯ハンガリー大会の男子カヤックシングル200メートル(運動機能障害KL2)で9位に入り、東京パラリンピックの代表に内定。テス・エンジニアリング(大阪)所属。倶知安町で妻、高校生の長男、小学生の次男と暮らす。