脊髄損傷の大けがを負い、入院中の辰己=2008年3月ごろ、北海道の美唄労災病院(提供写真)

 辰己博実(43)=徳島県上板町出身、テス・エンジニアリング=は幼少時から、興味を持ったことにとことん夢中になるところがあった。

 就学前は「ガンダム」のプラモデルだ。おもちゃ屋で熟考した末に買う品を決めると、説明書も見ずに組み立てた。

 粘土細工も見事だった。テレビ番組「ウルトラマン」を見ながら、登場している怪獣を即座に再現するのである。細かく作り込まれた怪獣は、大人でも見入るほどの出来栄えだった。

 スノーボードにクライミング、カヤック、サーフィンなどのアウトドアスポーツにも熱中した。テレビ東京系の人気番組「テレビチャンピオン」で2007年8月に放映された「イカダ下り王選手権」で、友人と共に優勝したこともあった。

 「何でも始めたら極めたい、納得いくまでやりたい、そういう性格なんです」。母万實(68、かずみ)=パン店経営=は言う。

 中でも最ものめり込んだのが、鳴門工高時代に出合ったスノーボードだ。

 卒業後の就職先には東京の圧延加工メーカーを選んだ。父博(67)が営む鉄工所「辰己工業」を将来は継ぐことを意識しての就職だったが、冬になるとスキー場通いに明け暮れた。

 「そろそろ帰ってきては」と博らが促したこともあり、博実は入社から4年ほどたった頃に会社を辞めたが、すぐに徳島に帰らなかった。「お金もたまったから」と北海道へ向かい、温泉旅館で住み込みのアルバイトをしながらスノボを楽しんだ。

 日本で雪のシーズンが終わると、今度は「ワーキングホリデー」のビザを取得して季節が反対の南半球ニュージーランドへ。その半年後に日本に帰ってきたかと思えば、徳島に立ち寄ることもなく、そのまま北海道へ向かった。

 両親によると、会社を辞めてから上板に帰ってくるまでに、1年半ぐらいかかったという。

 「好き勝手」をする博実に対し、両親は無理に帰るよう求めることはしなかった。「言うても行くのはやめんだろうしね」。博は笑う。

 博実は真面目に辰己工業の仕事を手伝ったが、やはりパウダースノーが忘れられなかった。2年ほどすると北海道へと向かった。

 それから数シーズンがすぎた08年3月10日、博実は北海道倶知安町の自宅から近いスキー場でスノボをしていた時に脊髄を損傷するけがを負い、下半身の自由を失う。

 10日夜に妻の真紀(43)から連絡を受けていた万實が翌11日、入院先の美唄労災病院(美唄市、現北海道せき損センター)に着くと、前夜に手術を終えた博実は病室にいた。

 博実は母の顔を見ると「今まで迷惑掛けたのに、またこんなことになって、ごめん」と言った。小さい頃からどんなけがをしても決して泣かなかった博実が、涙を流していた。万實は、命があるだけで十分だと思った。=敬称略、年齢は現在

 メモ パラリンピックのカヌー競技 2016年のリオデジャネイロ大会から、200メートルの直線コースを漕(こ)ぐスプリントが正式競技となった。リオでは左右をパドルで漕ぐカヤックを実施。東京では本体の片側に浮具(アウトリガー)が付いた艇を使うバーが加わる。障害程度の重い順に「L1」「L2」「L3」に分類され、カヤックのK、バーのVを頭に付け、「KL2」「VL3」などと表記する。東京大会で行われるのは男女のKL1、KL2、KL3、VL2と男子VL3の9種目。