プールに浮かべたカヤックに乗る辰己=2008年5月ごろ、北海道中央労災病院せき損センター

 入院中の辰己博実(43)=徳島県上板町出身、テス・エンジニアリング=はある時期から、とにかく外出したいと思うようになった。

 2008年3月、北海道倶知安町のスキー場でスノーボードをしていてジャンプに失敗、脊髄を損傷し、ドクターヘリで美唄労災病院(美唄市)に運ばれた。直後は「僕はもう終わった」と感じたが、しばらくすると「どうやって生きていったらいいんだろう」と考えるようになった。

 自分がその一人になって初めて、車いす利用者がどんな生活を送っているのか、何の知識もイメージも持ち合わせていなかったことに気付いた。

 博実が入院した直後の4月、「北海道中央労災病院せき損センター」(現在は道せき損センター)と改称したことで分かる通り、美唄労災病院は脊髄損傷の治療にかけては全国有数の病院で、院内のバリアフリー化は徹底されていた。

 しかし、いざ病院の外に出ると、世界は一変する。すぐそこのコンビニに行こうとしても、段差や砂利道、傾斜があり、車いすでの移動はままならない。「病院の中だけにいたら、退院してから普通に生活するのは無理だ」。博実は痛感し、外出を心掛けた。

 妻の真紀(43)が病院に顔を出すと、外食に誘った。週末、1人で電車に乗って、3時間ほどかけて倶知安町の自宅に帰ってくることもあった。

 けがをするまでは当たり前にできていたことの多くを一度は全て諦めたが、リハビリを重ねるうちに再びできることが増えていく。博実は一つずつ、できるかどうかの可能性を探った。

 例えば、カヤック。けがの前は川下りで漕(こ)いでいたカヤックをリハビリに取り入れたいと医師に提案し、病院内のプールに浮かべて乗ってみた。その時はできなかったが、転覆して起き上がろうと挑戦もしてみた。

 では、博実はすぐに前向きさを取り戻したといえるのだろうか。

 真紀が振り返る。「他の人に比べれば前向きだったかもしれませんが、いろんなことにやる気が起こっていなかったような気がします。1年といわず、2、3年ぐらいは...」

 博実は、できなくなっていたことが再びできるようになるたびに、「楽しい」と感じることもあった。しかしそれは同時に、新たな葛藤を抱え込むことでもあった。

 「できることとできないことがはっきり分かれたので、できないことへの憤りは大きかった。できないことばっかりに目がいく時期もあった。できることが増えたら、同じだけ、できないことが見えてくる。へこむ時間も多かった。今でもこの状況には納得していませんね」

 夏になり、博実は予定より早く、けがから4カ月ほどで退院の日を迎えた。

 入院中に、手で運転できる装置を備えた車を注文しており、退院の日に合わせて納車してもらった。どの車種にするかいろいろと検討した結果、選んだのは日産の「エクストレイル」。博実は自ら運転し、真紀、長男と共に退院した。真紀の提案で、そのまま旭川方面へ旅行に出掛けた。

 不安と葛藤を抱え、博実の新しい日々が始まった。=敬称略、年齢は現在

 メモ カヌー代表の選考方法 各種目で10の国・地域に出場枠が与えられる。まず、2019年の世界選手権(ハンガリー)で上位6人の国・地域に出場枠を付与。最終予選となった5月のワールドカップ(W杯、ハンガリー)で、先に枠を得た国・地域を除いて上位4位以内の国・地域に、残りの枠が与えられた。日本障害者カヌー協会は、枠を獲得した選手を代表に推薦。辰己は男子カヤック(KL2)で枠を獲得し、代表に内定した。