米軍機が徳島市中吉野町・沖洲を空襲し、4人が亡くなったのは76年前のきょう、1945年6月15日だった。1週間後の22日の秋田町空襲で123人が死亡。7月4日の徳島大空襲は市内の6割を焼き尽くし、死者は約千人に達した。

 県内各地には、こうした戦争の惨禍を伝える戦跡が数多く残る。

 今年は太平洋戦争開戦80年の節目の年である。今こそ、地元の戦跡に目を向けるときではないだろうか。

 徳島新聞が2017年に市町村史などを基にまとめた調査では、県内で人的被害を伴う空襲は少なくとも36カ所であり、1300人以上が犠牲になっている。

 九条の会徳島は昨年、徳島市の戦跡を巡るピースウォークの開催10回を記念し冊子「戦後75年 語り継ぐ徳島大空襲」を発刊した。

 城東高校の赤れんが塀や徳島中央公園の防空壕(ごう)跡など、ふだん紹介されることの少ない戦跡も含め、13カ所を取り上げた労作だ。語り部の証言も収めており、貴重な資料集である。平和学習にぜひ活用したい。

 戦跡は戦争遂行のための負担を強いられた名もなき県民の無念を伝え、犠牲者を追悼する場所でもある。

 例えば、約120戸が立ち退きを強制された徳島海軍航空隊第二基地「市場飛行場」跡(阿波市)や、米軍機の銃撃で列車の乗客ら約30人が犠牲になり、今も弾痕が残る那賀川鉄橋(阿南市)などだ。

 現場近くに有志らの手で記念碑が建てられている。足を運ぶ機会があれば、戦争の史実に触れてほしい。

 多人数の会合を控える「新しい日常」の下、インターネットを活用した取り組みも始まっている。

 とくしま生協はホームページに「徳島の戦跡を訪ねて」と題する動画コーナーを設けた。「自宅にいても平和について考える機会を持ってもらおう」(生協平和委員会)との狙いである。

 これまでに、海軍が本土決戦に備えて特攻基地を置いた小勝島(阿南市)など、動画4回分を配信している。持続的な活動に期待したい。

 県戦没者記念館と連携したり、SNS(会員制交流サイト)を活用したりして、戦跡や平和記念碑のデータベース化を図れないか。あまり注目されていない場所や史実も、掘り起こせるだろう。

 戦争体験を直接語れる人は年々、少なくなっている。それでも体験者が存命中の今であれば、証言の収集も間に合う。

 沖縄や広島、長崎の有名な戦跡を巡ることは、貴重な体験である。

 それと同時に地元の戦跡に向き合い、〝生きた教材”として活用していきたい。