食べやすいように食材はすべてつぶしておく。毎日の食事風景だ(写真と記事とは関係ありません)

 「ケアラー」という言葉を最近よく見聞きする。家族の介護・世話(ケア)をする人を指す。少子高齢化や核家族化により世帯の平均人数が減り続ける日本では、誰もがケアし、ケアされる可能性がある。積み重なる疲労やままならない人生に思い悩み、「家族が支えて当たり前」という社会通念に縛られ、誰にも相談できず孤立化するケースも少なくない。県内で暮らすケアラーたちの言葉からはそんな実態が浮かぶ。

 18歳未満のヤングケアラー、兄弟姉妹の世話をするきょうだいケアラー、育児と介護を同時に担うダブルケアラー、複数の人をケアする多重ケアラーなど、ケアにも多様な形がある。

 50代の田中泰子さん=仮名=は多重ケアラーだ。

 高齢の親と病弱な夫、自閉症の娘と暮らし、食事の準備や入浴、排せつなど身の回りの世話、施設・病院への送り迎え、サービスや公的機関の手続きなどを担う。普段おとなしい娘はふとしたことでパニックを起こすため、声掛けや感情面での配慮にも気を使う。

 介護保険制度の拡充で、親たちにはケアマネジャーや相談員がつくが、主役はあくまで要介護者。泰子さんは要介護者の娘、妻、母として頼られる立場。泰子さんの都合は関係なく、ケアマネらから連絡が入り、3人の生活スケジュールが全てのしかかる。

 「よく『施設に任せたら』と言われるけど、家族の気持ちを考えると割り切れない。一方でうんざりと思う自分もいる。今は『家族』という言葉に縛られず、『仕方ない。できるところまでするだけよ』と開き直ってます」。そう言って少し笑った。

 数年前の泰子さんは愚痴一つ言えない物静かなタイプだった。「家族の面倒を見るのは当たり前でしたから。田舎ですし、愚痴を言っても聞き流されるか、逆に批判される。誰にも悩みを打ち明けられず、ひたすら何も考えないようにしていました」。しかし限界は来る。不眠になり、体が動かなくなった。「うつ病」と診断された。

 診察室でうなだれていると、医師から「ようやってきたなあ。そりゃ、しんどうにもなるよなあ」と声を掛けられた。その言葉に涙がこぼれた。それからのことはあまり記憶がない。ただ、家族のこと、自分の思い―言葉がせきを切ったようにあふれた。医師は黙って聞いてくれた。

 「頑張りよ」と励まされるたび「私は頑張っているのに・・・」と落ち込み、「休みよ」と言われると「どう休めばいいの。私は最低限のことしかできてないのに」と自分を責めた。「家族のため」という条件付きでしか「私」は存在していないと感じていた。それが、医師の一言で初めて1人の人間として認められた気がした。「私も気持ちを吐き出していいんだ」。そう思えたのがターニングポイントとなった。

 今は同じ境遇のケアラーと本音で話せるようになり、安心して愚痴を言い合える仲間ができた。

 必死に押し殺しても感情は爆発する。だから、介護殺人や心中のニュースを見ると胸が痛む。「これは私だったかもしれない」

 「早く相談していれば、と人は言うけど、きっと当事者はSOSを出している。でも、ケアラーは生きているのに、生きていないような見えない存在。届かないSOSが重なり追い詰められる。そして、追い詰められても介護は続く」

 ケアラーの存在に目を向け、声に耳を傾け、何に悩み、何を望むのかを知ること。その声を生かした支援ができれば、誰もが生きやすい社会になるのかもしれない。泰子さんは「高齢者や障害者らケアされる側の思いをくむことはとても大切です。ただ、同じようにケアラーも一人の人間として大切にしてほしい」と話している。