徳島県佐那河内村・坂田麗子(83)
私は当時、小学校3年生ぐらいでしたでしょうか。生まれ育った徳島県佐那河内村での出来事です。突然B29が南の低い山あいから北へ向かって飛行機雲を後にはきながら突進してきました。祖母は私の口をタオルでふさぎ、引っ張るように西へ西へと逃げました。毒ガスかと思ったのでしょう。
緊迫した毎日が続く中、子どもたちの勉強の場は近くの神社の境内でした。上級生が下級生の面倒を見ながら遊ぶのも、境内の中でした。神社の周りはうっそうと大木が茂り、安全だったからだと思います。
あるとき、「隣の地域と一緒に」ということでお薬師さんのお堂で勉強することになりました。しかし、そこで先生を待っていてもなかなか姿が見えません。先生は向かいの山をひとつ越えて、歩いて来るのです。私たち子どもにとって、その時間がとても長く感じました。
こちらに向かって狭い野道を歩いて来る先生の姿を見つけ、走り出して迎えに行ったことが懐かしい思い出です。
昭和30年ごろ、佐那河内村で友達が結婚したときの写真も送ります。花嫁が地元の神社に参ってお別れのあいさつをし、美容師さんに付き添われて帰るところです。私が撮影した気がします。父がカメラを好きだったので、多分それを借りたのだと思います。終戦から10年たつと、こんな光景も村に戻ってきました。写真の中の人には存命の人も、亡くなった人もいます。