ICT機器を搭載した建機を操作する大竹組の社員=小松島市櫛渕町

橋脚の補強工事の様子=1949年、牟岐町(大竹組提供)

 橋脚やトンネル、防波堤などの工事を手掛ける総合建設業の大竹組(牟岐町)。早くから工事現場へのICT(情報通信技術)機器の導入を進め、生産性の向上を図るとともに若手社員の活躍を後押ししており、業界でも一目置かれる存在となっている。

 「中堅ゼネコンにすることもできたが、地域に根ざした企業を目指した。それが今につながっている」。入社して36年の喜井義典専務と、26年の山西公彦常務は口をそろえる。

 創業したのは1921年。当時は河川の改修や道路の新設に伴い、民家に浸水被害が多発していた。地盤を高くする必要があり、大竹常蔵氏が工事を請け負い出したのが始まりだ。太平洋戦争と昭和南海地震後には、復旧工事の注文が殺到。復員した青年や夫を亡くした女性らも迎えて戦後の町づくりに貢献した。

 しかし、従業員の急増で収入とのバランスは乱れ、経営は急速に悪化していく。危機を救ったのが、親戚関係にあった資産家の戎谷家だった。

 山林を売却して大竹組の全負債を肩代わりすると、51年に株式会社化して立て直しを図った。初代社長の戎谷利平氏は、県建設業協会海部支部の創立や四国放送の設立にも関わり、初代役員に名を連ねた。「幅広い人脈を存分に生かし、事業拡大に導いた」と戎谷一平社長は説明する。

 高度成長期には、港湾の改築や護岸など海部郡内の公共工事に絞って請け負い、地域密着企業としての足場を固めた。これが強みとなり、躍進の原動力となってきた。堅実経営は今も受け継がれており、戎谷社長はサッカー・Jリーグに例えて「J1に昇格しなくていい。J3でトップを維持する」と話す。

 2015年、測量機器の入れ替えに伴い、3次元設計データを用いて測量するICT機器を導入したのがきっかけとなり、コスト削減や働き方改革が一気に進んだ。山西常務は「経験の浅い社員ができる作業が増え、生産性の向上だけでなく、やりがいにもつながっている」と言う。

 18年11月からは完全週休2日制を導入。20年の有給休暇取得率は90%台を誇り、高齢化による担い手不足が深刻な業界ながら、近年はほぼ毎年工業系の高卒者や高専卒業者らを採用できている。

 南海トラフ巨大地震をはじめとする災害発生時の守り手としての意識も高い。全社員がアマチュア無線の免許を取得し、社用車全てに機器を搭載。防災訓練には毎年欠かさず参加し、東日本大震災や西日本豪雨災害時は現地へ社員を送り込み、復旧工事を手伝った。

 喜井専務は節目の年に決意を新たにする。「背伸びをせず、できることをしっかり行って地域に愛される企業であり続けたい」。信頼やブランドを守り、これからも歴史を刻んでいく。

◇ 

 新型コロナウイルス流行で多くの企業は打撃を受けている。こうした幾多の危機を乗り越え、創業100年を迎える企業がある。大正、昭和、平成、令和と1世紀にわたってどのような経験を重ね、知恵を蓄えてきたのか。その歩みをたどる。